金正日総書記死去!!その時北レスは!?2011年12月中国北レス状況調査報告

 2011年12月19日、金正日総書記の死去が発表された(死亡したのは12月17日)。この報を聞いて北レスの同志達はどう感じているのだろうか、北レスは営業するのだろうか、一時帰国するのか、それとも中国に残って喪に服すのだろうか。北レスファンの私は中国北レス状況調査のため、早速中国に飛ぶことにした。

ここで一連の日程を確認しておきたい。

・12月17日(土)金正日総書記死去
・12月19日(月)死去と発表
・12月28日(水)永訣式(告別式)。棺が平壌市内を巡回
・12月29日(木)追悼大会
1.長春仁風館(12月24日訪問。死去から7日後)=中国人服務員のみで営業。30日から北朝鮮の同志達復帰。
 長春唯一の北レス、仁風閣は大規模で料理にも定評がある。
 見たカンジ通常営業  訪問したのが午後3時半だったんで客は少なく、照明も半分消えていた。
   
 相変わらず犬肉料理が充実している。  行くたびに注文してしまうこの犬肉。形がヨいやね。漫画に出てくる“あの肉”みたい。
   
 おおっ!!センマイ。中国では回族(イスラム族)の食べ物というイメージがあるのだとか。香菜(パクチー)と一緒だとまた違う味わいがあってヨい。  このサンタの飾り物はヘンだな。顔が。

死去が発表された19日から追悼大会の終わる29日までが事実上服喪期間になるのだろうが、そのド真ん中のこの日、仁風閣は中国人服務員のみで営業していた。仁風閣は普段から中国人と北朝鮮の同志達とで営業しており、中国人だけでも営業は可能なのだ。しかし当然戦力は半分になるし、北朝鮮の同志達によって行われている歌やデンスはない。北朝鮮の同志達は服喪期間明けの30日に復帰と漢族の服務員が教えてくれた。

相変わらず盛況のようで、この日も午後6時から貸切の宴会が入っていた。私が入ったのが午後3時半。6時までに帰るようにやんわりと言われたがそんなに食えないって。

2.在瀋陽朝鮮総領事館(12月29日。死去から12日後。服喪期間最終日。)

 総領事館は北レスではないが、北レス密集地域の瀋陽を訪問したなら近くまで行って見るのは当然であろう。

これは総領事館の裏側。正面には半旗が掲げられていたが、怖そうな武装警察がおり画像は撮れなかった。また目と鼻の先に韓国資本のロッテマートが。なんてこったこんな資本主義的なものを。なんという挑発!!と思ったら韓国総領事館も目の前だったのね。

ロッテマートに入ってみたが、韓国製品いっぱい。韓国では発売が停止された「辛ラーメンBlack」も売っていた。 朝鮮総領事館の人もここに買い物に来るんだろうか?チョコパイ買ってるところを韓国総領事館の職員に見つかって「テヘ。」とか。


3.瀋陽北レス
 @東妙香山(服喪期間最終日29日まで休業。翌30日より営業)
 29日午後に行ったら営業しておらず、でも特に休業の貼紙があるでもなく、奥に人の気配がすると思ったらジャージ姿の北朝鮮女性が出てきたので「いつから営業しますか?」と聞いたら「明日からします。」とぶっきらぼうな答えが返ってきたのだった。

 翌30日午前に行ったら本当に営業していた。東妙香山のヨいところは、1階のカフェで朝鮮中央放送のテレビが見られることである。この日はビールを注文。バドワイザーが品切れだったので韓国製「hite」を注文。おつまみに頼んだハンチ(スルメ)柔らかくておいしゅうございました。
 
   
座席からだとこのように見える。以前はブラウン管だったが液晶に替わっていた。 近づいてみるとこんなカンジ。昨日までの追悼行事の様子を繰り返し流していた。・・・ん?何かビミョーだ。
 
東妙香山では労働新聞も読める。逝去を伝える12月20日付け。スゴいな1面全部顔だ。 金日成広場に集まったものすごい数の人。
新聞の折り方が違うことに注目!!金正日総書記の顔に縦の折り目がつかないように折ってある。向かって右の人民大学習堂は縦に折り目がありますね。

結局現地時間の11時半から13時までテレビ見てしまった。画像ではわかりにくいが、液晶テレビ下部のメーカー名ががビミョーに隠されている。ひょ、ひょっとしてひょっとすると38度線の南の国の、「三つの星」社製だったのか!?


A平壌親善東明館(服喪期間最終日12月29日まで休業。翌30日より営業)
東明館は以前の西塔メインストリートから1本入ったところ(安図街)に移転していた。というわけで途中に「東明館はこちら」という案内看板があった。29日に行ってみるとお休みだったが、中に人の気配が。全員地に伏して地面を叩きながら「アイゴー」の嗚咽の渦の中にあったわけではなく、同志がフツーに出てきて「明日から営業しますよ。」とのこと。中国語で貼紙が。「事情により暫く間お休みします。」ってなカンジだな。
   
翌30日。東明館の正面。上部に千里馬像と金日成花、そして金正日花。ランチタイムを過ぎてから行ったので客はまばらだったが、冷麺とハタハタ焼きおいしかった。 まあ通常営業ってカンジ。 


B瀋陽平壌館(服喪最終日29日まで休業。30日から営業)

平壌館。堂々たる風格である。隣の建物がホテルになっていた。お店の前に同志達の公演の様子が。こりゃいいや後光が差している。  
   
29日訪問時。朝鮮語と中国語の二ヶ国語で告知していたのは、今回回ったうちでここだけだった。朝鮮語で「当分の間営業いたしません。〜29日まで」中国語もほぼ同じ。  


C平壌香肉館(平壌ムジゲ食堂)(服喪期間最終日12月29日まで休業。翌30日より営業)
4年前に訪問した時には朝鮮語店名も「平壌タンコギチプ(犬肉店)」だったが、「ムジゲ(虹の意)」に変わっていた。下部のハングルがそれ。 「しばらくお休みします 2011-12-19」

犬肉メインの平壌香肉館だが(香肉は犬肉の意)、言うまでもなくアブラギッシュなオヤジどもが好むのが犬肉である。ここで働く同志達は「・・・ったくどうして犬肉なんか売り物にするんだか。」と思いながらも笑顔で「パ〜ンガプスムニダー」なんて歌っているに違いないことは4年前のレポで指摘したとおりである。

しかしその後、「他の店は金剛山とか妙香山とか高麗館とかいう名前なのにどうしてここだけ『犬肉館』なのか。おかげでアブラギッシュなK-oyajiのセクハラが絶えない。」という同志たちの不満がナニゲに噴出し、一種の和解案として「ムジゲ=虹」という朝鮮語名が付けられたと想像する。北レスの中国語名と朝鮮語名は当然ながら同一であったり類似していたりするものであるが、ここに「香肉(犬肉)館」=「ムジゲ(虹)」という名称関連性の極めて薄い北レスが誕生したわけである。

中国語のお休みの告知に「2011-12-19」とあるが、これは金正日総書記の死亡が発表された日である。この日、平壌香肉館の同志はあまりのショックにその場に倒れこんでしまったものの、這うようにパソコンにたどり着くと悲しみに震える指で電源を入れ、貼紙の作成に取りかかったに違いない。ワープロに向かって「余白はこれくらいでフォントは・・・これでいいな。おっと日にちはセンタリングした方が見栄えが・・・」なんて告知文の体裁を整えるうちに時は妙に冷静さを取り戻したりして。


D牡丹館(服喪期間最終日12月29日まで休業。翌30日より営業)
   
牡丹館。堂々たるたたずまいだが大手すぎてあんまし行く気がしないんだよなあ。  「本日お休み」。ただこれだけ。この画像を撮った29日は人の気配はしなかった。

E朝鮮族儀礼宮(金剛山)(服喪期間最終日12月29日まで休業。翌30日より営業)
   
 朝鮮族礼儀宮。以前は「アリラン」を名乗っていたこともあるが、現在は「金剛山」を名乗っている。 入り口にこのように「金剛山」と書かれている(中央のハングル)。
29日の夕方に訪問したところ、特に休業を示す貼紙はなかったが営業はしていなかった。中に人の気配がしたので入ってみたら、婚礼で使うのであろう花の形をした飾り物を同志達が作っているところだった。支配人らしき朝鮮語を話す男性(朝鮮族っぽかった)に「いつから営業しますか?」と聞いたところ、「いやーまだちょっと・・・。」とよくわからん答え。でも翌日営業していた。ここは地元朝鮮族の宴会でよく使われているようで、私のような個人客に対しては「まだちょっと・・・」だったのかもしれない。

F瀋平閣(改装中)
   
この中には私の知った顔もいるのだがどうしているのか・・・。呉同志、かわいかったなあ。  改装中につきしばらくの間お休みしますとのこと。
総書記の死とは関係なく改装中でお休みのようだった。改装中とはいうものの入り口は新聞紙が貼られて中が見えないようになっており、実際には閉店して帰国してしまったのかもしれない

G安山館(すでに閉店)
   
 一度食事したことのある安山館だったが、すでに閉店していた。  入り口のところ。バイク駐車場と化していた。
というわけで、長春北レス仁風閣は中国人だけで営業。瀋陽北レスでは6軒が19日から29日まで喪に服して30日から営業していたようだった。今回の瀋陽訪問では、この他に北朝鮮の書籍や絵を売っている「平壌展覧館」、改装中の「七宝山飯店」、それに高麗航空も訪問した。特に高麗航空では支店長から北朝鮮のカレンダーをもらうという経験をしたが、それは項を改めて近いうちに。(2011年12月末訪問)