13号線に老兵の出る幕なし/北京市地下鉄13号線試乗記
北京在住の英国人によって運営されている「the Pyongyang metro」。ピョンヤンの地下鉄を扱った優れたサイトである。興味を引くのは「北京市地下鉄13号線にピョンヤンから買い戻された車両が走っている」という記述である。
同サイトのここにいろいろ出ている。また中国サイトのここでも13号線の画像が多数見られるが、開通当時はピョンヤン地下鉄と同型のものが走っていたことがわかる。
私は自他共に認めるプチ鉄ちゃんであるが、この度の北京行きに際して13号線を調査、ピョンヤンを走っていた車両があったら車内にその痕跡が残っていないかどうか確かめたいと思ったのだ。
痕跡とは具体的に何かと言われると困るが、偉大なご両人の肖像画が飾られた形跡・・・くらいだろうな。まあそういうことである。これは私が訪朝時撮影したものである↓
非常に北朝鮮っぽい光景なワケだが、車両によってはご両人の肖像画を照らすためだけに存在するライトがあるんである。つまり肖像画に向かってライトが設置されている。車内が薄暗い場合はそうしているようである。
今回の目的は要するにこの車両を探すことである(中国千龍網より)。長春客車廠で製造されたものであるが、そのサイトのオープニングフラッシュの最初に出てくる。
4月16日午後、計画は実行された。地下鉄13号線は総延長40.8キロ。全線開通は2003年1月28日。東直門駅から北京市北部をビローンと回ってまた市内の西直門駅に戻る路線である。
午後3時半、東直門駅に到着。ピョンヤン地下鉄との再会が迫ってきた。なんだかロキロキしてきた。
向かって右側は路線図に横断幕がかかっていて見えないの図。赤地に黄色い文字で定期購入時の注意事項が書かれているのだが、路線図のことはすっかり忘れてたんだなチミたちは。
この時間帯、電車は8分に1回運転されている。やってくる電車を1本1本チェックすることにして調査開始。13号線は1号線や2号線と違って自動改札。やってきた電車も近代的なものである。向かって右は駅で発見した看板。こりゃ日本の新幹線の300系じゃないか。チミたちは相変わらず新幹線スキなんだな。
1本めをデジカメで撮影して次は2本目。やっぱり同じ車両。8分後に3本目。やっぱり同じ車両・・・・・。なんだか早くも退屈になってきた。文庫本持ってくりゃよかった。で、結局5本見送ったが、自動改札で近代化されたこの路線に、ピョンヤン帰りの老兵がヨロヨロとやってくる雰囲気でもない。
方針を転換。車両基地がどこかにあるはずだ。車両基地の片隅でひっそりと眠っているのを目撃できるかも知れない。13号線はほとんど地上を走る。終点まで乗車し、キョロキョロと基地を探すことにした。
6本目に乗車。発車してすぐ地上へ。さっそくキョロキョロ開始。うーん。すぐには見つからんだろう。4駅目の“望京西”で乗客増える。うー反対側が見にくい。あんまり混まないでくれー。6駅目の“立山橋”で少し減った。だいぶ郊外に入ってきた。よしよしその調子だ。9駅目“龍沢”。また客増える。ったく乗ってくるなって言ってんだろまったくー。11駅目“上地”。少し減った。いいぞその調子だ。13駅目の“知春路”でまた増える。もうだいぶ市内に戻ったなあ。次は15駅目・・・え!?もう終点!?
私はロングシートの端っこに陣取り、隣の客は3回ほど替わったが、終始落ち着きなくキョロキョロを繰り返し、明らかに中国語ではない言語で「あーまた見えなかった。」とか、「よしっ!!降りろっ!!」などとつぶやく私を例外なくヘンな目で見ていた。
結局車両基地も見つからずじまい。すれ違う車両も全部チェックした。少なくともあの時間帯にはピョンヤン出戻り車両は発見できなかった。
北朝鮮旅行ではピョンヤン地下鉄試乗はつきもの。最近はロキロキすることもなくなったが、次回の訪朝では中国製の車両が残っていないか見てみたい。
ところが帰国してその記事をよ〜く読むと「they(平壌から北京に買い戻された車両のこと)
have since been replaced with modern vehicle」ってことは、もうとっくに無くなっていたのか!?しかしそれに続けて「ピョンヤンでは4両編成だったのが北京では3両編成になっており、それはピョンヤンが真ん中の車両を取ったからだと言われている。」とあり「それは旅行者によって時々目撃されている。」とある。
なるほろ。次回のピョンヤン地下鉄乗車では、1両だけ型式の違うように見える車両が挟まれていないかチェックするという楽しみができた。今回の調査を人は無駄足と呼ぶかもしらんが、ピョンヤン地下鉄に対する興味を再び呼び起こしてくれたことに意義があるような気がした。
(2006年4月16日全線乗車)
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