北京海棠花再訪記―――その日は特別な日であった

 CAPTAIN同志が金日成主席の命日である7月8日に北京海棠花で宴会を開くという貴重な体験をされました。当日の様子をレポで送っていただきましたのでご覧ください。青文字が私の突っ込みです。

 何故か会社の新人歓迎会の場所に「北京海棠花」が選ばれ、周りからは「どうせCAPTAINの手引きだろう。」と言われる始末。本当は幹事役の中国人(漢族)女性社員が決めたんですが、この際そういうことでもよい。歓迎会の主旨を無視して1人楽しんでしまいそうな予感がしますが、北レスに行けることは喜ばしいことであります。

 ところが当日は故金日成主席の命日に当たり、営業はするが公演はやりませんと幹事が午後3時ごろになって言って来ました。「ええっ。」と一瞬心が曇りましたが、今回は2階の個室なので、地下1階でやっている公演は最初から見ることはできないんだし、首領様の命日なんて年に1回(当たり前田のクラッカー)、しかも彼の国では今のところ追悼の対象となる人物は首領様ただ1人なので、こりゃいい機会だとすぐに元気回復しました。

 このあたりの報告って、確かにこれまであまりありませんでしたね。2001年の4月、金日成主席の誕生日に北朝鮮のラソン市に行った時は子供たちがマスゲームしてましたが、命日には労働党のいろんな組織で追悼行事はするんでしょうが、一般市民、更には在中北レス接待員同志達の過ごし方ってのはいまのところナゾですな。


 仕事の関係で会場に遅れて着いたのが夜7時。2階へ通じる階段をいざ上ろうとすると地下1階からK−oyaji達が続々上がって来る。「ははん、お目当ての公演がないんで場所を移すんだな。(注:公演は7時半からです)現金なもんだ。でもそれなかったら北レス来る意味ないんだからしょうがないか。俺達はたとえ槍が降ろうとも北レス一筋だぜ!」なんて心の中でつぶやきながら階段を一気に駆け上る。

 2階の個室は中国のレストランならどこも似たり寄ったりのあの廊下とあの部屋です。「ああ、ああいう感じのやつね。」との声が聞こえて来そう。部屋に入ると料理もテーブルいっぱいに出ており、これから盛り上がる一歩手前。何とか間に合ったのはいいのですが、悪い予感が的中。北レスなんてめったに行かないどころか、初めて行くような人間が注文しているので、牛カルビ焼とキムチはいいが、ニシンだかイワシのような魚をキムチ漬にしたもの、魚の乾き物の千切りをラー油であえたもの、ブロッコリーと貝柱の炒め物(これは中華だろ!)、ユッケなんかが並んでおり、開宴から30分以上たっているはずなのにほとんど箸がついていない状態。

 「こんなの漢族が食べるわけないだろ!!」と思いつつ幹事に聞いたらやっぱりコース料理を注文している。ここでうまいのはアヒルの焼肉とイカの唐辛子炒め、チジミなのにそんなの入っていません。悪い予感の極めつけ、それはテーブルの上にドンドンと置かれたブルーベリー酒と人参酒の瓶。ほとんど飲んでないので「ほとんど飲んでないじゃないですかぁ。」と言うと一同「それ不味い。」きっと接待員同志に「お客様、これが当店のお勧めの酒でございます。女性の方には美容、男性の方には滋養強壮の効果があります。」とか何とか言われて、判らずに注文しちゃったんでしょう。

 確かにどっちもお世辞にもおいしいとは言えず、人参酒の方はラベルを見ると鹿の角まで入っていて見るからに高そう。「これって不転折点同志の言ってたあの金剛山鹿茸酒?そんな高い酒じゃなくて、焼酒で十分なのに!!!」と半分ぶち切れモード。すぐに焼酒を注文する一方で、もったいないので金剛山鹿茸酒で乾杯を開始。飲むほどに味わい深く、なんて境地じゃなく、ただただ我慢。(高麗人参のあの後味がどうしてもだめなんです。韓国ロッテの人参ガムとか)

 ああ、ああいう感じの中国ならどこにでもあるような個室ね。確かに北レスでは朝鮮料理を食べるべきでしょうな。私は漢族や満族と一緒に北レスに行くときがあるんですが、料理と、なによりも私の北レス趣味に理解のある人を選んで連れていくようにしてます。金剛山鹿茸酒やブルーベリー酒を中国の白酒のような感覚で注文してしまっては失敗するのは明らかですな。私が買った海外旅行のおみやげとして最も不評だったのが韓国ロッテの人参ガムでしたが、もっとも評判がよかったのが中国グリコのご当地プリッツです。あれは中国を訪問した日本人のお土産用として売っているんだろうな。職場で配りやすいように小分けしてあるし。と思ったらやっぱりそうだった。


 部屋を見渡すと入り口から入って左側の壁に大きな絵が掛かり、その反対(右)側に「玉流」の掛け軸。入り口の正面に壁に埋め込まれたTVがあります。接待員同志に「TVつけないのですか?」と聞くと、「今日は首領様の...。」VCD映像を流すのもだめなんですね。首領様の賛美歌集なんか流せばいいのに、そんなのいっぱいあるでしょうに。

ハングルで「玉流」と書かれているだけってもなんだかヨイですね(向かって右)。私は以前、延辺朝鮮族自治州のキムチ工場の社長室で「キムチ(実際はハングル)」と書かれた掛け軸にシビれたことがありました。

 VCD映像として、金日成主席逝去後に作られた「偉大な首領様は永遠に我々と共にいらっしゃる」のような、おごそか計の「称頌歌」をリクエストすれば反応が違っていたかも知れません。「称頌歌」については「瀋陽金剛山」の「3.Everybody stomp!!」を参照。


 部屋担当の接待員同志がなかなか美人だったのでご奉仕中の写真を撮ったらお咎めを受けました。写真を撮って投稿する不埒な奴(おっと自分のことだった)がいるのを警戒しているのでしょうか。今日は歓迎会なので雰囲気を壊してはならじと取り出だしたるは『指さし会話帳』。これには本当にお世話になっています。

 平壌市の地図を開いて「自宅はどこですか。」とか「8月にアリランを見に、朝鮮へ行きます。」なんて話をしていると段々と顔に笑みが戻って来ました。自宅の場所は話題に乏しいので窮地の策であちこちで聞いているのですが、平壌市の地理に詳しくなく、「このあたりです。」と指さしてくれる場所が高級住宅地なのか、普通の住宅地なのかわかりません。でもほとんどの接待員同志が平壌駅の西側(千里馬通り)か東側(栄光通り、解放山通り)の比較的大同江沿いのあたりを指差します。(前に1人だけ地図の外を指差しました)地図の端に高麗ホテルと羊角島ホテルの絵が出ているのを見つけ、「私たちはこの2つのホテルから派遣されています。」とのことでした。

 私は平壌市中心部の地理ならほぼ理解していますが、どのあたりが高級住宅地なのかってのはよくわかりません。てゆっか高層住宅の外観が没個性的ですし、わが国のようにそもそも住宅地にランクづけがあるのかどうか、よくわからないのです。次回訪朝時に聞いてみたいと思います。ただあのお国柄ですから「家賃はタダなのでそういうランク付けなどあり得ない。」という楽しいんだかつまらないんだかよくわからん答えになりそうな気が・・・

 ところで「旅の指さし会話帳(42)北朝鮮」、発刊当時はこの出版社、何を考えているんだか・・・と思いましたが、ローチョンガー同志がカンボジアの北レスで使った事例も報告されていますし、北レス用として大いに使えますね。韓国版を手直ししたわけではなく、北朝鮮版として丁寧なつくりになっています。


 海螺神仙湯という大きな貝を一人前ずつ小さなコンロで煮込む料理はなかなかおいしかったです。貝は北朝鮮からの輸入品だそうで、きのこや野菜も入っていました。そうこうする内に、ご飯ものが出てきたのですが石焼ビビンバと冷麺。またまた人気がなく、仕方がないので味噌チゲと平壌温飯を注文。特に味噌チゲに白ご飯を入れたものは好評でした。でもこの頃は既に焼酒が回ってかなりハイテンション。ほとんど記憶が消えていました。

 この法螺貝はぐつぐつ煮えてくるとおいしそうですね。金剛山鹿茸酒は味はともかく、精力第一主義のK-oyajiなら好んで飲みそうですな。そして右端はおおおおっ!!幻の平壌オンバン!!てゆっか私がまだ食べた経験がないだけっ!!これって韓国にも延辺にも存在しないみたいで、北朝鮮オリジナルらしいのですよ。どういったルーツがあるんだろ?


 帰りしなに入り口で記念写真を撮りました。するとうちの部屋担当の接待員同志がしっかり写っていました。やっぱり前触れなしに撮られるのはお嫌い?

 酒をかなり飲んだので家に帰ってからのことは全く記憶になかったのですが、翌朝5時に目が覚め、それっきり二日酔いで頭は痛いのに全然眠れませんでした。金剛山鹿茸酒の威力を思い知りました。

命日?あんまり関係なかったっすねぇ。制服ももともと地味な紺と白ですし。でも違う店、違う都市で同時訪問したら、興味深い結果が出るかも知れません。ドラえもんのどこでもドアがほしい。

 え〜、右の画像が逆背後霊状態なのはお許しくださいませ。宴会参加者にマスクをかけるとこうなっちゃうんだよなあ(笑)。首領様の命日、他の北レスではどういう扱いになっているのでしょうか?7月8日なら比較的休みやすいんで、来年は中国のいろんなところで同時多発的に調査してみるってのは如何か?

            (2005年7月8日CAPTAIN同志訪問。画像提供もCAPTAIN同志)

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