“大連三千里酒店”ちょっとだけ訪問記

1.そこに行けばあることはわかっておる

 大連経済開発区は地元では通常“開発区”と呼ばれている。大連は中国では早く対外開放された街で、開発区は外資誘致のために作られた出島のような存在と言ってよい。市内からはタクシーで30分から40分程度かかるが、開発区だけで生活が完結でき、まったく問題はない。しかし、市内にあって開発区にないものがあった。それが北レスである。


 以前フリーペーパーで広告を見ていたので、存在自体はわかっていた(あてもなく探すのに比べればかなりラク)。私は2004年のGW、4月29日に大連上陸、当日夜に朝鮮族の女性と三千里に行く約束をしていた。

 朝鮮族は日本語が上手なことが多いだけではなく、日本人と民族性が近く、勤勉なこともあって日系企業には引っ張りだこである。彼女もそんな中の一人である。

 中国の4月29日といえば労働節(メーデー)の直前。彼女は仕事がなかなか片付かず、7時には開発区に向かいたいと思っていたのだが結局この日は都合がつかず、そうこうしているうちに時間も9時になってしまい、この日の三千里行きは断念することにした。



2.そんなとこにいないで中に入っておいで

 てなワケで翌30日の朝、写真だけでも撮ろうと一人で三千里に向かった。ちょうど朝9時に到着。太陽神ホテル(アポロホテル)の近くである。この時刻にもかかわらず中に人の気配がしたので覗いて見ることにした。

 お店の内部は天井の明かりこそ消えているが、奥の方の座席に15名くらいの接待員同志と、5名程度の調理師が朝食の真っ最中であった。扉を開けると視線が一斉に私に向かい、私は一瞬にしてに固まってしまった。また食事中なので入っていいのかどうかわからず、入口のガラス扉に挟まれるような形で身動きがとれなくなってしまう。そんな私の姿が面白かったようで、彼女達の間からクスクス笑いが漏れ始めた。思わぬところで掴みはOK状態になってしまったが、「中に入っていらっしゃい。」と手招きする女性もいて一気に気分はほぐれた。

 やがて一人の接待員同志がやってきて、お店の名刺を手渡してくれ、「お昼は何時からですか?」との私の問いに「11時からですよ。」とにこやかに答えてくれた。やはり接待員同志はナゾの闖入者相手であっても礼儀正しい。それにジャージ姿の接待員同志というのもなかなかオツなものだ。帰り際に「キダリゲッスミダ=お待ちしております。」と言ってくれた。嬉しいなああーっ。これから飛行機で長春なんで今日はムリなんだが、また来ようっと。

大連三千里いわゆるゲタばき。窓ガラスのお花がお茶目だ。

3.どうなってるんだ一日のスケジュール

 ところで朝9時のメシはやや遅いような気もしたが、昼メシ時は食べられないのだから当然だな。彼女達はレストランと同じ建物に住んでいて、朝食後メイクをして着替えて開店の準備をし、11時に開店。午後2時くらいに一旦閉店して昼の部の総括。気合の入らない接客をした同志はここでキビし〜く批判される。その後主体思想の学習と、平壌から空輸される労働新聞で将軍様の動向チェック。いつも人民を思いやってくださる将軍様の大海のような愛に一通り涙を流した後、歌と演奏の練習。いや全て想像なんだがまあこんなカンジだろうな。

入口にかかっていた朝中国旗

4.三千里はこう行け

 市内から離れたところにある開発区に存在するということで外資系企業が多いこのエリア。日系には多くの朝鮮族が採用されているから、現地の駐在者が「北レス行きたいんだけどコトバできないから一緒に来てくんない?」なんて理由付けのもと、日本語の上手な、若くてカワイイ朝鮮族職員を連れて遊びに来るという図が容易に想像される。

 最近、大連市内と開発区とを結ぶ電車が走り始めたが、最寄駅の金馬駅からも歩いて行ける距離ではない。従って市内からタクシー利用になる。下の名刺を参照してほしいのだが、まずは「太陽神大酒店=APOLLO  HOTEL」と運転手に告げれば大体は知ってる。

 市内から向かうと太陽神の手前に見えるのでそこで降ろしてもらえばヨイ。私が行った時は市内(シャングリラホテル)からタクシーで30分少々。70元だった。

(2004年4月30日訪問)

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