島のほうです。大連 焼肉 叙々苑訪問記

1.こんな日はあの人の思い出まくら

 大連には駐在日本人向けのミニコミ誌が数誌あり、ナニゲにパラパラとめくっていると、最近とみに増えた日本料理店の広告が眼に留まった。店名が「叙々苑」とある。東京を中心に展開している高級店と同じネーミングである。そしてそこには「ピョンヤンウェィトレスが真心を込めておもてなしいたします。」と書かれてあった。な、ナニ!?これは新たな北レスか?速攻で確認に向かった私だが、時間の都合で午後3時半頃の訪問となった。

 食事時ではないため、店内は灯りが落とされ、中には漢族の女性従業員が一人いるだけだった。
私「ここに平壌から来た女性が働いているそうですが本当ですか?」
漢族「そうですよ。ほら。」と右側を眼で指すと、そこには緑色の民族服をまとった女性一人が雑誌に眼を通しているところであった。我々が中国語で会話していたこともあるのだろうが、こちらには全く注意を払わず、存在感を感じさせない。まるで場末のスナックのママが、昔のオトコを思い出しながら女性セブンを上の空で見ているといった風情である。

 その場は「また夜に来るから。」と言って立ち去ったが、その存在感のなさに内心一抹の不安を感じずにはいられなかった。


お店の外観


2.そっちじゃなくて「島」の方です。

 その三日後、私は大連市在住の知り合い(ややご年配)とお食事する機会があり、叙々苑を選んだ。6時頃に到着すると先日の漢族が笑顔で迎えてくれた。この漢族は愛想がよい。そして席に着くと緑色の民族服を着たピョンヤンウエィトレスがやってきた。多分先日の彼女と同一人物である。早速朝鮮語でご挨拶する。早い時間帯で客が少なかったこともあり、結局ずっとテーブルについてくれた。ややぽっちゃりとしたカンジのにこやかな女性である。名前は鄭同志。2ヶ月前にやってきて、3年の予定で滞在するそうである。

けなげに給仕する鄭同志。真心の接待には好感が持てる。先日のスナックのママ状態は業務時間外だったワケで、きっと疲れていたんだろう。

ここで働いているピョンヤンから来た女性は2名。鄭同志は「綾羅島食堂から派遣されました。」と言っていたが、私が「それは高麗ホテル前の蒼光通りにあるのでは?」と言うと同志は「おおっ!!」と驚き、「それは綾羅食堂。私がいたのは綾羅『島』食堂ですよ。」とにっこり微笑んでくれた。「2年前、綾羅島で大規模マスゲーム『アリラン』があったけど、見に行ったよ。」と言うと「まさにその綾羅島にあるのです。」と嬉しそうにしていた。やはり共通の話題があるというのはいいものだ。もう一人は「青春館」からの派遣とのこと。

3.カラオケでもないのに

 で、北レスのポイントである歌であるが、基本的には歌わないのだそうだ。でもご好意に甘えることにして一曲だけ歌ってもらった、彼女が得意なのは「アンニョンヒタシマンナヨ(さようならまた会いましょう)」なのだが、あまり早い段階で歌ってもらうと食事中なのに帰らなきゃいけなくなるので、冷麺を食べ終わったあたりでノーマイクで歌っていただいた。凄く上手というわけではないが、熱心な歌唱には好感が持てた。

 ところでこの日、私と会食した方は日本人のお年寄りなのだが、北レスは全く初めてであった。そいうワケで「この人たちはホントにピョンヤンから来たのか?」とか「トシはいくつか?」とか「ヒマな時は何してるのか(そんなこと聞いてどうすんだってーの(笑)」とか「カラオケでもないのに歌っていいのか?」とか、私の北レス駆け出し時代を思い出し、感涙にむせんでしまったですよハイ。お年寄りを大切にするコリアン達。北レスではお年寄りの方がモテることも・・・ある。

 ところでここにはピョンヤンから来た女性が二人。さすがに寂しいのではないだろうか。後日、大連平壌館のミニモニ系鄭同志にこの話をすると、意外にも「知ってますよ。一松亭でしょ?」とのこと。一人は小柄だってことまで知ってた。店名は「一松亭」ではないのだが、確かにこの画像を見ると「一松亭」という文字が見える。同じ経営者なのかもしれない。

                                       (2004年10月25日訪問)


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