突然マグロ屋さん宣言/大連平壌館移転即日開業!!
 2008年7月以来、3ヵ月半ぶりの大連平壌館訪問。私にとってもっとも馴染み深く、行き付けと言っていいくらいの北レスだ。しかし11月1日、私は驚愕の事実を知ることになる。
ただ今午後3時半。北レスに行くには中途半端な時刻だ。でも北レスは完全にシャッターを下ろしてしまうことはなく、ジャージ姿で歌と踊りの練習なんかしているものである。ちょっとあいさつだけして夜また来ようと思ったら・・・

え、ええっ!?シャッター閉まってる!!まさか閉店・・。いやまてよ何か貼ってある。近づいてみると・・・
おおおっ!!新しいデザインの名刺である。上の画像の赤く見えるのが名刺の表で、白く見えるのが裏である。そう。大連平壌館は移転して、移転先の名刺をこうしてペタペタ貼り付けてあるのだ。

一人でも多くのお客様に移転の事実を知ってほしいんだろうな。ポニーテールにジャージ姿の彼女たちがキャーキャー言いながら貼っているのが目に浮かぶようだ。
名刺の裏に書かれた地図を見ると、歩いても10分とかからないところ。さっそく探してみることにした。名詞の拡大画像は「大連平壌館TOPページ」参照のこと。

しばし歩くと・・・おおおおおっ!!あれはっ!!「ピョン・ヤン・グヮン!!」紛れもなく平壌館と書かれているではないですかっ!!そう。大連平壌館は移転したのだ。
中に入ると朝鮮族と思しき50代くらいの女性が数名と、漢族らしき店員が一人。朝鮮族らしき女性に聞くと、なんと今日引っ越したばかりだそうである。私が「食事できますか?」と問うと、「もちろん大丈夫。」という。

とはいえ、いくらなんでも引越し当日から営業するかフツー?という私の心配は全く無用のものだった。この後すぐ、前回の訪問で親しくなった林同志が現れ「ようこそいらっしゃいました。今日は新しい同志も二人ご紹介できますよ。」と言う。そのうち一人はなんと従姉妹だという。たしかに卵型の顔がよく似ていた。

で、持ってきたメニューを見てまたびっくり。ほとんどがマグロのコース料理=和食なのである。「朝鮮っぽい料理はあるの?」と聞くと「簡単なものならできます。」というのでマグロのコースに加えイカの辛し炒めを注文。

 私は混乱していた。引越し即日営業。和食メニュー、簡単な朝鮮料理・・・ふと気付くと紙製卓上テーブル敷きには「生魚専門“海順”」と書かれていた。“海順”・・・って何だろう。
これは入り口の画像。一階が珈琲、二階と三階が日本式焼肉ってなことが書かれており、その下には“海順”の日本語読みであろう“かいしゅん昼定食”の字が見える。
なんとなくわかってきた。ここは数日前まで、いやひょっとすると昨日まで“海順”という名のマグロを中心とした和食店だったのだ。そこにどんな経緯かわからんが平壌館が引っ越して来ることになり、こりゃまたどんな経緯か知らんが海順の板さんはそのまま残っていて、昨日までと同じ料理を出しているのではないか?「簡単な朝鮮料理ならできる」というのは多分彼女たち自身、または朝鮮族女性の手によるものなのではないか?

そう考えると実にケンチャナヨな話ではあるが、細かいことはおいといて、走り出せばなんとかなるだろうというのがコリアンらしくもある。そしてもう一つ、驚愕の事実が!!
左が今回訪問した移転後の大連平壌館、右が4年前(2004年)に私が撮影した“高麗音楽珈琲酒廊”である。この“高麗音楽珈琲酒廊”は現在“高麗館”として海に近い華楽広場近くに健在であるが、この二つの建物、よく見ると同一であることがわかる。以前北レスとして使われていた建物が、巡り巡ってまた北レスとして復活したのだ。

ハングルで書かれた“平壌館”と、カタカナで書かれた“マグロ”の上に見える“チャムチ(マグロという意味)”というハングル。この二つは引越しに伴って設置されたものであろうから、大連平壌館は本気でマグロ屋さんとして生きていくのかもしれない。

ただいくつか心配な点もある。このお店は1階がテーブル席(喫茶店みたいなカンジ)、2階が個室、3階がオンドルなのだが、この構造だと以前のようにステージで公演をしたりお客様と踊ったりするには向かないのである。この日は1階で同志が一人で歌を歌っており、私も一緒に“パンガプスムニダ”を歌ったが、北京の北レスでやっているようにギターやアコーディオンを持って各階を回るといった工夫が必要かもしれない。

また、移転前の大連平壌館の象徴であった大同江を中心とした平壌市内の絵はそのまま置いてきたようだがどうするのだろうか(The sweetest taboo 桃の木に桃の花咲くを参照のこと)。林同志は「そのうち持ってきます。」とケンチャナヨなことを言っていたが。
最後にお約束のツーショット。この日はこの林同志に加え前回親しくなった閔同志、新人で林同志の従姉妹だという李同志、もう一人別の李同志という4名に漢族らしき女性店員の5名で営業していた。

そういうわけで見切り発車的に移転開業した大連平壌館だったが(でも当事者には見切り発車という意識はないに違いない)、名刺の裏を見ればわかるように、近くには世貿大廈(世界貿易センタービル)やオフィスが多く入った銀洲国際ビルもあり、以前の“場所がわかりにくい”というイメージは払拭したといってよい。

またこれは私の推測だが、経営者、または中国側の合弁相手が変わったのではないだろうか?移転前は接待員以外の人物がお店に出ることはなく、奥の偉大な御両人の肖像画のある部屋に人民服姿の男性がいた。しかし移転後は明るい50代くらいの朝鮮族女性が取り仕切るようになった。これは上海の北レスに多く見られる形である。

私が訪問して一ヶ月経ったが、ずっとマグロ屋さんのままなんだろうか?K-oyajiどもは移転前と同じように通っているのだろうか?この先が楽しみなような心配なような・・・。(2008年11月1日訪問)