開城ツアー体験記(5)/
これから参加される方のための余計なアドバイスと若干の問題提起
 美人同志との写真が撮れないことに若干の問題を残しながらも開城ツアーは無事終了した。もう一度行ってみたいと思っている私だが、これからツアーに参加しようとする方のために、情報を整理してみたい。

1. 日本語ガイドは必要か?

 韓国語の心得がなければつけた方がよい。ただし値段は韓国語ガイドに比べて割高にはなる(各自代理店サイトを探されたし)。特にガイドに世話になる場面は、本文でも書いたように韓国側出入事務所で出境する時に現代アサンの職員から書類一式を受け取り電子機器を預ける場面と、北朝鮮入境に際して注意事項を聞く場面である。また韓国側出入事務所到着時と出発時は乗車するバスが違うため号車番号をちゃんと説明してくれるのも心強い。観光地では日本人客をまとめて引率し、日本語の解説も入れてくれる。

 ただし日本語ガイドはバスの中での北側ガイドの説明をすべて訳してくれるわけではない。私の日本語ガイドはまったく訳さなかった。本文で北側ガイドが三一節の話をしたり、幼き頃の金日成主席が抗日運動に参加した話をしたりしたと書いたが、それはすべて私が自分で聞き取ったものである。

 また我々についてくれたガイドは率直に言って日本語の能力は高くなかった。私が何度も(日本語で)「開城はもう10回以上来ている。」と話したのに全く理解できておらず、高麗博物館で現地人に「今日の日本人客は全員開城は初めてだ。」と話していたし、朴淵の滝では滝のことをずっと瀑布(ばくふ)と発音していたが、「滝(たき)」という日本語は覚えておくべきであったろう。また高麗博物館では銀杏の巨木を「あれはギンコーの木です。」と行っていた。韓国語では「銀行」も「銀杏」も同じく「ウネン」と発音することからきた誤りであろうがちょっといただけない。

2. 写真撮影

 撮影は各観光地内のみに厳しく限定される。我々北朝鮮トラベラーがフツーに北朝鮮を旅行する場合も制限はあるが、それは「軍人は撮らない」、「人の写真は一言断ってから」というごく普通のものである。従って習慣的にバスの中から見える景色についついレンズを向けてしまいそうになるが、それはご法度である。また本来ツーショット天国の北朝鮮。売店や各観光地の女性案内員とのツーショット写真を希望したいところであったが、500名近い観光客ではあまりにも忙しそうでそれどころではなかった。結局ツーショットは1枚も撮れなかった。

 我々についてくれたガイドはフリーのガイドさんであり、写真撮影についてはなんら決定権はなかった。現代アサンの言ったことを守るだけである。安全を期して1.2倍くらい厳しくしている可能性さえある。本文中に「平壌冷麺の看板を撮ってもいいかと聞いたらダメと言われた場面」が出てくるが、聞くだけ無駄だったと思う。

 事前説明では「北朝鮮出境時に画像はすべてチェックされます。」と言われる。ただ500名近い客の画像をすべてチェックするなど物理的に不可能だろうと思ったところ、やはりそのとおりで私のデジカメは全くチェックされなかった。北朝鮮の出境検査官のチェックを受けていた人もいたがサンプリング調査であり、全員ではなかった。

 主催者側の言うとおりに撮影は禁止されたところでは控えるべきと思うが、なぜこんなに厳しいのか…という思いはやはり残る。実際には撮ったところでなんら問題にならないことの方が多いのだろうが、数百人にのぼる観光客が数十枚ずつ撮るであろうから、たまたま問題のある画像が写りこむ可能性もなくもない。だったら一括禁止にしちゃえ面倒だから…というのが本当のところかもしれない。ちなみに私が10回を超える北朝鮮旅行を通して感じる「北朝鮮側が撮ってほしくないところ。」とは「貧乏に見えるところ」と「好戦的に見えるところ」である。

3. おみやげ

 おみやげが買えるのは@朴淵瀑布の前の売店と、大興山城に登る途中の売店A昼食場所B高麗博物館の中と前である。中でもBの高麗博物館前が最も広くて品数が多い。朝鮮人参っぽいものならここ。ただAでは北朝鮮の本やCDを販売している。韓国出発時に「本も売っているが韓国に持ち込みできないから買うな。」と言われるが、いつもの習性でついつい買ってしまいそうになる。おみやげについては本文中でも説明しているが、お菓子の類はそれほどおいしそうには見えない。ただ「挟み菓子」「アメ」という素っ気無いネーミングが北朝鮮っぽいと言うか共産主義国っぽい。
 私はAの昼食場所、民俗旅館でコチュジャンを買ったが、「液体だから」という理由で仁川空港の安全検査に引っかかり、持ち出すことはできなかった。

4. バスの座席はどこに取るべきか?

 本文にも書いたが、バスは韓国側出入境事務所で一旦乗り換えがある。したがって韓国側で出境手続きを終わってバスに乗り込んだときにどこに座るかが重要である。鉄道好きなら向かって右側に座席を取るべきである。北朝鮮入境時、右側に板門駅がよく見える。また開城工業団地にさしかかったあたりでファミリーマートもよく見える。ただし復路は往路と違って開城工業団地の中を通過するので左側に広い引き込み線が見える。南側と北側を一日一往復貨物列車が往復しているはず(貨物のない時は機関車のみ)だが、南北通じて車両は一度も見えなかった。また07年5月、南北直通鉄道運行時に新装なった開城駅の様子が報道されたが、今回のツアーは開城駅を通るルートにはなっておらず、全く見えなかった。ただしni-chika同志が2008年5月に訪問した時には朴淵の滝に向かう途中、右側に見えたそうである。私が見落としたのだろう。

5.総括

 通常の北朝鮮旅行ではルート内の自由はあってもルートを外れる自由はない。いわばベルトコンベアに乗せられているようなものである。ただしちょっとコンベアを止めてもらったり、コンベアに乗せられながら違う方向を見る余地はなくもない。しかしこの開城ツアーでは最初から最後まで一定の速度で一定の方向を向いてコンベアに乗せられているという、そんな印象を受けた。

 現代アサンの社員はトランシーバーで頻繁に連絡を取り合っており、いかに日程どおりにツアーを進めるか、いかに現地人と接触させないかに心を砕いているように見える(韓国人が北朝鮮で普通にトランシーバーを使えることも驚きであったが)。北朝鮮当局との熾烈な交渉の末に実現したに違いないこの開城ツアー、ルートの範囲内で楽しむのが正しい楽しみ方と言えるだろう。

 私が初めて韓国側から板門店を訪問した86年当時、北側から流れてくるなんとも不気味な音楽と、ここを渡ったら帰ってこられないという“帰らざる橋(bridge of no return)”に大いに恐怖したものであるが、あれから20年以上の時が流れ、数百名単位の韓国人が毎日のように日帰りで北朝鮮を往復していると思うと隔世の感がある。

 私は北朝鮮マニアの視点で開城ツアーを楽しんだわけであるが、韓国人は古都開城をどう感じたのであろうか。寂れた町並み、偉大なお方を讃えるスローガン。道中、韓国人客と会話する機会はなかったが、彼らの対北朝鮮観にも少なからぬ影響を与えるであろうこの開城ツアー。実現が噂される白頭山ツアーとともにこれからも注目していきたい。

                                           開城ツアー体験記 おわり

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