以北五道庁訪問記/反共っぽいの好き?


以北五道庁”をご存知だろうか?大韓民国からすれば“朝鮮民主主義人民共和国”という国は存在せず、不幸にして反動的勢力によって支配される北半部があるだけだ。よって建前として北半部の行政区を管轄する役所が必要。それが以北五道庁というわけだ。実際には北朝鮮には道(朝鮮半島の行政区分で日本の県に相当)は9あるのだが、それは南北分断以降に増えたり分割したりした結果そうなったわけで韓国は認めていない。よって今でも5道庁なのだ。

 2007年夏、私は3年ぶりに韓国を訪問。この以北五道庁を訪問することにした。ソウル市中心部から北へ向かい、北漢山のふもとにそれは存在した。
 東大門から北へタクシーで30分程度、市内の渋滞を抜け、北漢山が近くなるに連れて坂道が多くなる。もうここは北漢山麓と言っていいだろう。そんな場所に統一会館は存在した。目指す以北五道庁はこの統一会館の中に入っている。
 
正面から見たところと“統一会館”の看板。訪問したのは金曜日の朝だった。

 
我々が目指すのは“北韓館”。入って右手にあるのですぐわかる。しかし灯りが消えており、客は一人もいないようだ。入り口でうろうろしていると事務室から担当者が出てきて“見るのか?”と言いながら灯りをつけてくれた。この担当者によると、2階に知事室があり、知事が5名本当にいるのだそうだ。でも本日は全員外出しているとな。また1階と2階で勤務しているのは公務員だが、3階以上は失郷民が管理しているのだという。

 
入るとすぐ左手に“インターネットと以北五道庁ホームページサービス”と書かれた看板が。おおおっ!!これはヨい。さすがIT大国韓国。PCでいろんな情報を検索できるのだなっ!!と思い看板の下に視線を落とすと・・・ガクッ。額に入った“望郷詩”。これはこれでいいものだとは思うが、パイプ椅子の上ってのがちょっと・・・。なんだかこの北韓館、我々が来るまで灯りさえついていなかったことといい、このパイプ椅子といい、ちょっとこの先不安になってきた。

 
“木銃”と書かれていた。私も北朝鮮で子供達がこれを背負って行軍しているのを見たことがある。右は“大同江”と書かれた洗濯機だが、なんの解説も無く放り出されていた。横には以前使用していただろう展示用パネル。なんだかダラダラした光景だ。洗濯機は北朝鮮の技術レベルがどの程度のものかを示すてゆっか、バカにするのが目的だったんだと思うが、もうどうでもよくなっちゃったんだろうか?心なしか洗濯機も寂しそうだ。「ボクもうおうちに帰りたい・・・」と言っているようだ。なんとなくオレが学生時代に使っていた洗濯機に似ている気もする。で、次は一番奥にある視聴覚室にあまり期待せずに行くことにした。

 
これまでの展示のテンションの低さ・・・てゆっかやる気のなさからなんとなく予想はしていたが、・・・・。ビデオデッキに電源が入ってない。てゆっか故障中。必死にイジる調査隊(笑)。ビデオテープはさかさまに並んでいるものも多かった。“今日の北韓”“赤い象牙の塔”“強要された忠誠”なんてタイトルが見えたがやる気は全くなし。ここも長らく使われていないのだろう。結局ビデオは見られなかった。

展示はひととおり見た。ところが営業案内を見たところ(上記拡大画像をどうぞ)、これまで見たのは第1展示場で、まだ第2展示場のあるらしいことがわかった。で、すぐ近くにある第2に入ろうとすると・・・暗い。わざわざ係員を呼ぶこともないと思ったので、勝手に灯りをつけて入った。第1は現在の北朝鮮の現状や韓国の北朝鮮政策が主であるのに対し、第2は道別の現況を展示している模様。

このように北韓館についてはあまりやる気の感じられないスーダラした印象を強く受けたのだが、そろそろ帰ろうかという頃に北韓館近くの階段に展示してある絵を見ておやっ?と思った。

中国と北朝鮮の国境線上にある白頭山天池をバックに韓国人が行進をしている。この絵が描かれたのは1982年から83年にかけて。現在の北朝鮮に対する融和的な雰囲気などなく、中国と国交回復するのはこの十年後だから、白頭山への自由旅行など思いもつかない時期に書かれたものである。

注目すべきは中央の少年。右手に北朝鮮の国旗を握りしめ、左手に太極旗を持っている。北朝鮮国旗は破かれた後にも見える。少年は決して敬意を持って掲げているのではなく、獲物を誇示しているようにも見える。これは滅共統一の意気盛んな頃に書かれた反共の絵なのだと思った。北韓館も以前は反共に燃えていた時期があったのだと思う。それが2000年の南北首脳会談以来、その役割が少しずつ小さくなっていったのだろうと思った。もし2007年現在に、この絵を再び描くのなら、少年の手の北朝鮮国旗はなくなり、掲げ持つのも太極旗ではなく青色の半島をかたどった統一旗に変わっていることであろう。

そういうわけで北韓館はたしかにスーダラした雰囲気が漂ってはいたが、以北五道庁の役割はこれだけではない。
 
4階で行われる会議の案内。韓国にしては珍しく全部漢字だ。右は「北韓離脱住民支援室」と書かれた1階にある部屋。こういう事業もしているのだ。

 
以北五道新聞の発行もしている。1階の休憩室で無料でもらえる。入り口で見かけた以北五道新聞のロゴが入った車。これで取材しているんだろうな。8月13日付け以北五道新聞をゲット。解読してみた。ちょうど南北頂上会談の開催が発表され、その後延期が発表されるまでの間の時期だ。

スキャン&アップは差し控えるが、2面(総合面)には「国民的合意のない頂上会談は小を貪り大を失う」との記事が。「失郷民2世と脱北者からなる以北道民青年連合会と北韓民主化委員会」による「没落してゆく北韓政権に免罪符があろうはずはない。」とする声明を大きく取り上げている。この声明の中で同連合会と委員会は「前回同様韓国側が平壌に出かけていくことには呆れる他ない。」「共産主義の前線基地となる連邦制を受け入れてはならない。」「核兵器の破棄を明確に議題にすべし。」とし、「昨年の民団と総連の電撃的和解とその破綻、そして北韓政権の影の存在である総連の没落が北朝鮮の没落をも象徴している。」等と会談の開催と北朝鮮を厳しく批判している。

で、その声明はこの記事のすぐ下に意見広告として掲載されているのだ。なんというのか身内の声明を記事にしたみたいなもんだが、このあたりに反共っぽさが色濃く出ている。

また「平壌時間旅行試写会開催」という記事では、1945年から1961年までの北朝鮮政権の形成、北朝鮮住民の生活の様子など海外で収集された記録映画が上映されたと報じている。この記事では金日成像の除幕式のキャプチャ画像が掲載されている。白い幕が下半身にまだまとわりついている(これ動画で見たいなあ)。

北韓館のスーダラぶりと、新聞での反共ぶり。韓国の北朝鮮政策の上で微妙に重心をとりながらこの以北五道庁は存在しているのである。これからも対北政策と韓国人の北朝鮮観の変化によりその姿を変えてゆくであろう以北五道庁。所在なげな洗濯機クンが安住の地を見つけられるのはいつ?(2007年8月17日訪問)