ローチョンガー同志のプノンペン北レスレポ 

今年5月(訪問は3月)、カンボジア/シエムリアップ北レス情報を送ってくれた“ローチョンガー”同志から今度はプノンペン北レスレポが届きましたので掲載いたします。ありがとう!!ローチョンガー同志!!

 本年(チュチェ93年)3月にお知らせしたカンボジア・シエムリアップ旅行記でお伝えしたように、カンボジア王国の首都プノンペンにも我等が朝鮮民主主義人民共和国の美女軍団が革命の先鋭部隊となって共産主義偉業の実現のため日々闘争を繰り広げている「革命食堂」が存在するのです。

 私は、前回のカンボジア・シエムリアップ訪問以後、虎視眈々と「プノンペン朝鮮革命食堂」を訪問する機会をうかがっていましたが、先月ついにこれを実現する機会を得ました。丁度その頃、この国のシアヌーク国王がなぜか知らないけど北朝鮮に滞在しているとのことでした。

 では以下、簡単なレポートです。

 日没が迫った午後6時過ぎ、予めチェックしておいた食堂前に降り立つ。定番の「ピョンヤンレンミョン」という大きな朝鮮文字が書かれた看板が夕闇に浮かび上がる。まずはその看板を背に同行者にお願いして記念撮影。 そして、胸を高鳴らせて前進!前進!前進!息を大きく吸い込んで革命の扉を開ける。そこには、きっと地上の楽園が…!

 ありゃ?何だかとっても静か。人があんまりいないようだし。シエムリアップの朝鮮食堂に比べて広いんだけれども、ガラーンとしていて客も美女接待員もまばら。それに、これまではいきなり「来て良かったな」と思わせてくれたチョニョトンムの柔らかな挨拶と笑顔が今回は出迎えてくれない。

 取りあえず適当に座席に着く。間もなくして1人のチョニョトンムがメニューを持ってきて、注文を受け付ける。私は同行者と相談して定番の焼肉などを注文する。今回の同行者の中には女性も含まれているので、突端から鼻の下を長くして余計な話をするわけにもいくまい。 とは言ってもせっかく来たからには、少しはチョニョトンムと「国際交流」を行ってから帰りたいものだ。私はそのチャンスが訪れるのを待っていた。そして、その手段としてカンボジアまで持参した『旅の指さし会話帳・北朝鮮』を用いることにした。

 案の定、焼肉をあぶるためにチョニョトンムが私の傍らにやって来た。簡単な挨拶から始まって、恒例の「故郷はどこ?」「いつプノンペンに来たの?」などといった質問を投げかける。 彼女はそれらの質問に答える一方、「なぜ朝鮮語を話せるのですか?」と尋ねてくる。こうなったらしめたもの!今まで何度か朝鮮に行ったことがあり、朝鮮のありとあらゆるものが好きになったからだ、などと私は答える。

 そんな折、彼女は卓上に置いてある上記の本に関心を示してきた。しめしめ!私は、さらに会話が弾むきっかけになることを願いつつ、ページをめくりながら彼女に本の中身を見せた。 その後は…。すみません。平壌酒がだんだん頭の中を回っていったようで、何を話したかあんまり良く覚えていません。ただ、時間が経つほど客がぞろぞろ入ってきて、綺麗なチョニョトンム達が甲斐甲斐しく動き回っていたことや、8時を回った頃にお待ちかねのチョニョトンム達による歌と踊りが始まったこと、その頃には客席がほぼ埋まっていたこと、などを思い出すことができます。
                                        
 ピョンヤンレンミョン・プノンペン店
 No.400 St. Monivong BLVD
                                        (2004年6月15日訪問)

金日成バッジつけてませんね。名札のみです。北京柳京冷麺と同じく「給仕中煙
かかると不敬」系と推測します。(あんでんだコメント)


 う〜ん。なるほろ。要するにその日は出だしはヒマだったんでしょうね。しかし目的が目的とはいえ、カンボジアまで“旅の指差し会話帳”持ってくかフツー(笑)!?蓮池さんが監修したっていうアレでしょ?アレを北朝鮮に持っていって使う機会なんかいつあるんだと思っていたのですが、こういう使い方もあるワケですね。
 レポにあるように「どうして朝鮮語を話せるのですか?」という話題になったらしめたものですよね。それにしても会話が弾む一番いいところを覚えていないとは、私とやってることが同じですな(笑)。平壌焼酎なんか飲んだ日にはキューゲキに酔いが回りますからね。「反日戦歌」でユルく手拍子なんかしてなかったことを祈ります(牡丹江平壌友誼館の項参照のこと)

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