ローチョンガー同志の“ビエンチャンは万寿台だった”レポ


カンボジア北レス事情にお詳しいローチョンガー同志からラオス/ビエンチャンレポが届きましたので掲載いたします。ありがとう!!ローチョンガー同志!!


日頃各地にて革命事業に邁進していらっしゃる同志の皆様

 ラオス人民民主共和国をご存知でしょうか。1975年に誕生したインドシナ半島内陸の社会主義国家であり、ソ連や中国、隣国ベトナムといった社会主義陣営の協力を得て国家建設を進めてきましたが、80年代後半の東西冷戦の終結に伴い、市場経済を導入するとともに全方位外交に方針を切り替えて、90年代以降は資本主義諸国からの様々な援助を得て国づくりを行っています。今では、日本が1国レベルでは最も多額の援助を行っています。

 けれども、現在でも政治体制はラオス人民革命党の一党独裁下による「人民民主体制」を維持しており、建国以前からラオス人民革命党の最高指導者の地位にあり、92年に亡くなるまで党及び国家のトップであり続けたカイソーン・ポムヴィハーン氏が現在でも国の父として称えられています。革命同志の皆様であれば、「そんなことは知ってるさ。」という方は何人もいらっしゃるかもしれませんね。

 そんなラオス人民民主共和国の首都ヴィエンチャンにある偉大なカイソーン氏を奉る「カイソーン記念館」を訪問する機会が先月にありました。 記念館の前で車を降りてビックリ。あれ、どこかで見たことのある景色…!?そうです。何と平壌の万寿台大記念碑とそっくりなものがそびえているのです!
 あっけにとられて呆然と見つめているとガイドさんが私に教えてくれました。「この記念碑は北朝鮮の技術援助によって造られました。」と。 ナヌ!?そうだったのか…!

 そして、よく考えてみると素晴らしいことかもしれないな、と思い直しました。何しろ今の北朝鮮って言うと、外国から米や物資、エネルギーの援助を友好国にはお願いすることにより敵対国には脅すことにより受け取ってばかりいる国という印象があるではありませんか。そんな国が行った数少ない対外援助をこの東南アジアで見られたことに私は感慨を覚えました。何しろ、朝鮮はこの国より30年も革命の先輩ですからね。

 そういうわけで平壌の万寿台大記念碑にそっくりなヴィエンチャンの記念碑なのですが、真ん中の銅像は違いました。もちろん金さんではなくてカイさんなのですが、人が違うだけでなく、サイズも金さんの3分の1にも満たないくらいで、ちょっと威圧感に乏しいような気がしました。また、平壌と異なり、ここは丘の上でなく記念館の平たい敷地の中にあることから、平壌ほど下の方から登っていって上を見上げて「ハハーッ。恐れ入ります。」という感覚に欠ける気がしました。

 そういうカイさんの足元を通り抜けて「カイソーン記念館」の中に入っていきました。中は写真撮影が禁じられていたのでその様子をお見せできないのは残念ですが、要はカイさんに率いられたラオス人民革命党の業績と明日に向かって躍進するラオスを展示した施設でした。

 そんな「カイソーン記念館」に入って2階に上がった所で、また椅子に腰掛ける彫刻になったカイさんにお目にかかりました。ガイドさんに促され、受け取った花束をカイさんの足元に置いてから、同行者と一列になって黙礼いたしました。あれ、これもまたどこかの国でやったような記憶が…。
                                        (2004年6月訪問)

 なるほろ。たしかに北朝鮮の万寿台大記念碑によ〜く似てますね。金日成主席のものを見慣れているせいもあって、カイさんのポーズはちょっと妙な感じがしなくもありませんが、まあそれはラオス人民にとって意味があるものなのでしょう。北朝鮮はこの他にも仲良くしている国があるわけですから、探せば出てくるかもしれませんよ。でもマリとかジンバブエとかマダガスカルとか・・・ちょっと行きにくいなあ。

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