北レスふぁんくらぶ第2回オフ会報告/また会いましょう高麗館で

1.みな知り合いなのです

 前日に私の思いつきで実現した第1回オフ会。2軒目にカラオケに行ったこともあり、激しく二日酔いしてしまい翌日午前中は死んでいた。しかし食欲に多少の問題を抱えながらも第2回オフ会は強行されたのだった。

 上海高麗館は私は初めてだったが、上海在住のCAPTAIN同志はすでにお馴染みであり、中国語の上手な同志がいることもあって正しいお好み焼きの作り方とか、日本語・朝鮮語相互学習をしたり楽しく過ごしているのであった。

 かつては中国にありながら中国語が通じないことが北レスの特徴でもあったのだが、最近では朝鮮族を配置している北レスや地元中国人と分業している北レス、そして本人が中国語を話せる上海高麗館のような北レスも現れている。

 この日の担当は金同志。最も中国語が上手で聡明な印象の同志だ。以前はピョンヤンの高級ホテル、羊角島ホテルで働いていたという。中国では他に大連、丹東に“高麗館”という名の北レスがあるがみな派遣元は一緒だという。ただしできたと思ったらすぐにつぶれてしまった北京高麗館だけは知らないという。その他に北京海棠花、青島海棠花も同じ系列。私が数名の同志の名前を出したら「知っています。一緒に働いていたのです。」と言って喜んでいた。


2.金同志と語ろう中国語で(朝鮮語も可)

 昨日の上海妙香館は歌がよかったが、ここ高麗館は金同志の語りがヒジョーにヨい。もう少々語ってみることにした。

あんでんだ「どうやって選抜されたの?」
金「私は羊角島ホテルで働いていたのですが、それはいずれ派遣されるということなのです。」
あ「えーそうなの?」
金「はい。羊角島ホテルと高麗ホテルは同じ経営なのです。そのいずれかで働いている者の義務と言っていいと思います。」

う〜ん。派遣されるためにはもうちょっと何かありそうだけどなあ。でも次の質問。

あんでんだ「バッジをつけていないけど?」
金「はい。よそはどうか知りませんが、私達は作業着(中国語で工作服と言っていた)にはつけないのです。」

よそは知らぬが作業着にはつけぬ。以前北大路欣也がきつねどん兵衛のCMで「よそは知らぬが5分仕上げ。」と言っていたことをふと思い出した。あとのせサクサク。これは関係ないか?以前北京柳京冷麺では「煙がかかると不敬だから。」と言っていたが、まあ北レスでもいろんな考え方があるってことで。

あんでんだ「イカとタコの呼称が韓国と違うという話を聞いたことがあるけど。」
金「いつのころからか、なぜか反対になってしまったのです。」

たしかにこの日注文した「ナクチムッチム」はイカだと思った。韓国では「ナクチ」はタコだが。

あんでんだ「公演では革命歌は歌わないの?高く掲げよう赤い旗とか。」
金「う〜ん(苦笑)。もちろん歌えますが雰囲気が違いますので・・・」

 金同志とはところどころ中国語まじりで話したのだが、彼女の中国語の実力はかなりものだ。「主体思想とはどんな思想か」を中国語で説明してくれたが、こういった抽象的でわかりにくい概念を説明するには高度な能力が必要とされるはず。ピョンヤンにいた頃に昼は働いて、夜間「対外奉仕学院」で学んだと言っていた。

高麗館の画像。右から二つ目の画像は甕踊りである。この同志は小道具踊り担当らしく、パガジ(ひょうたんで作った入れ物)踊りも披露していた。右端の画像の右から二人目、メニューを持っているのが金同志。

3.また会いましょう高麗館で

 この日の公演で最も印象深かったのは、実はラストの「祖国のみなさんまた会いましょう。」であった。昨日、妙香館でも聞いたばかりだったが、高麗館のはまた歌詞が違っていた。

妙香館ヴァージョン
我が同胞のみなさんまた会いましょう
明日の公演時間をお待ちください
お元気でお元気でまた会いましょう
また会う日を楽しみに
お互いまた会いましょうまた会いましょう

高麗館ヴァージョン
祖国の同胞のみさなんまた会いましょう
明日のこの時間にまた会いましょう
お元気でお元気でまた会いましょう
また会う日を楽しみに
喜びの中でまた会いましょう。高麗館で

 昨日、妙香館の韓恩心同志が書いてくれた歌詞を、今日は高麗館の金同志が添削してくれたのだ。赤下線を引いた部分が金同志の加筆部分だ。ハングルがわかる同志は上記の肉筆画像も参考にしてくれたまえ。

 一番違うのは終わり方で、高麗館では「喜びの中でまた会いましょう高麗館で」と店名を入れている(ハングル歌詞には反映されていないがそう歌っていた)。また金同志は、「妙香館ヴァージョンはここがちょっと長すぎると思います。」と、「明日の公演時間をお待ちください。」の部分を指摘した。日本語訳ではピンとこないが、ハングル版歌詞を見ると指摘のとおり長い。オリジナルを知っている人だったら、どう歌えばいいのかとまどうくらい長い。実は妙香館では、この部分ちょっとメロディーを変えているのだ。こんど妙香館を訪問したらよ〜く聞いてみること。

 金同志が言うには、これは在日同胞が祖国を訪ねた時の曲ではなく、中国同胞(朝鮮族のこと)が訪問した時のものだと言う。う〜ん。在日同胞が祖国を去る時のものだと思っていたがなあ。つまり元々は在日が歌い始めたのだが、そのうち在外同胞という点では同じ立場である朝鮮族も歌い始めたってことじゃないかなあ。

 かつて北レスは中国語ができないのがフツーであったが、金同志はその流暢な中国語で我々をもてなしてくれた。また私が「謝謝」と言うと「どういたしまして。」と簡単な日本語もできるようだ(もっともほとんど日本語では会話しなかったが)。はじめての上海高麗館は金同志と語ることにより、私に強い印象を私に与えてくれた。(2007.6.30訪問)

                    
                     TOPへ       北レスTOPへ