ヤオヤの謎再び/北レス人事異動/上海妙香館開店

「その時あなたは〜バラになりい〜その時僕は蝶になり〜」これは言うまでもなく野口五郎の名曲であり、ものまねのコロッケを一躍売れっ子にした「真夏の夜の夢」である。そして私とCAPTAIN同志が2005年8月、北京牡丹館で北レス史上類を見ないくらいにモテにモテた様子をレポートした、そのタイトルでもある。

 その北京牡丹館はその後ほどなく閉店。2006年11月現在、韓国系の焼肉屋になっている。2005年8月、北京牡丹館でのモテぶりはその名のとおり「真夏の夜の夢」になってしまった・・・・と思われたのだが、CAPTAIN同志が出張先の上海から、衝撃のレポを送ってくれた..ここに掲載する。青字部分が私のボケである。

  昨夜は1人になれたので、迷うことなく北レス探しにでかけました。まずはゲットした地元在住韓国人用新聞「上海ジャーナル」。そこで先ず見つけたのが「妙香館」の広告。最初は「妙香山」の方かと思いましたが、住所も全く違い、新規進出開店であることを確認。その次に見たのは「上海教育ニュース」。在上海韓国人向けの留学とか子女教育関係の新聞なのであまり期待してなかったのですが、これが思いもよらない展開に。

 「妙香館」の広告が出ていたのですが、こちらに載っている接待員同志の集合写真にびっくり。真中にいる目鼻立ちのくっきりした同志の顔に見覚えが。他の同志の顔を順番に見ていくと、何と「北京牡丹館」の“ヤオヤ”の韓同志が映っているではないですか。もうこれは行くしかない!!時計を見るともうすぐ9時。よいこの北レスは10時閉店。急いで向かいました。

 これがその広告です。おおっ!!左端にヤオヤの韓同志の顔がっ!!なぜヤオヤ!?理由は後述するっ!!急げCAPTAIN同志っ!!

 入居しているのは虹橋でも有名なレストランが多数入居しているビル。その3階に「妙香館」があります。店をくぐって「名刺を下さい。」というと応対してくれたのは、例の広告で、最初に目に止まった同志。傍にレジを兼ねたカウンターがあり、そこにいたのは牡丹館でひときわ美人だった白いチマチョゴリの同志。「皆さん、北京の牡丹館にいましたよね。昨年8月に来た日本人2人を覚えていますか?」と聞きましたが、ちょっと記憶にない様子。この次写真を持って行けば思い出してくれるでしょう。

 おおお!!間に合ったのですね!!ゆっめよー夢よ夢よ夢よ夢よ〜あ〜真夏の夢よー(ここ野口五郎のモノマネね)。いやーもう会えないと思っていた同志達と上海でまた会えたなんてまさに真夏の夜の夢ですね。秋だけど。2005年8月撮影の画像を引っ張り出してCAPTAIN同志ご指摘の同志達を推定しました。

 ヤオヤの韓同志、以前北京で会った時、「ヤオヤとは何を売る店ですか?」と聞いてきたので通称「ヤオヤの韓同志」なのですが、本人にとってはいい迷惑でしょうね(笑)もっともそんなこと、本人は知る由もないでしょうが。上の画像のように、6名中4名が移籍しています。移籍という言い方をしましたが、彼女達は北京牡丹館が閉店になってからすぐに上海妙香館に来たわけではなく、平壌に戻っていた時期があるはずです。また経営者が同じなのでお店を移ったのだと推測されます。

 実は同じような例が瀋陽で見られます。まだアップしていないのですが、以前長春妙香山で働いていた同志達が瀋陽瀋平館で働いています。北レスも各地区で激烈な戦いが繰り広げられていますから、いい人材はあるお店がなくなってもまた次のお店で働くのでしょう。CAPTAIN同志が広告掲載紙を送ってくれましたので掲載します。これも拡大画像をよ〜く見てくださいね。

 まずは左から。歌っているのがひときわ美人の同志です。北京時代は歌う姿を見てないんで上海で是非見たいです。注目すべきは中央の画像の上にある一行。「最高の北韓料理が・・・」という書き方がされています。「北韓」とは言うまでもなく韓国側から見た北朝鮮の名称。北朝鮮で使われることは絶対にありません。このほかにも冷麺のハングル表記が北朝鮮式の「レンミョン」ではなく「ネンミョン」になっています。この広告は上海の韓国系代理店に任せたのだと思いますが、ケンチャナヨで勝手に変えちゃったのかなあ。

 右。よ〜く見るとヤオヤの韓同志はキーボード担当であることがわかります。韓同志は別名“目線プリンセス”。歌いながら投げかける暖かい視線も持ち味です。ヤオヤの意味を覚えているかテストするからそれまで待っていてくれ韓同志。この項、広告と名刺はすべてCAPTAIN同志提供。
(2006年11月CAPTAIN同志訪問)
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