満腹との戦い/瀋陽金剛山訪問記

1.全体的に緑色

 2004年元日、私は中国遼寧省の省都、瀋陽市にいた。前日牡丹江での北レス取材を終え、ハルピン経由で到着したのである。瀋陽には「西塔」というコリアタウンがあり、そこは中国随一の北レス集中エリアである。私は朝から徒歩で集中取材し、昼食を金剛山でとることにした。 金剛山は2002年11月に看板のみ撮影したことがあったが食事するのは初めて。

左が2004年1月、右が2002年11月のもの。中央の看板は残しつつ、全体的に緑色になったことがわかる。

2.満腹との戦い

 昼の11時半頃に入るとまだ客はなかった。奥の方に控え室があるらしく、民族服姿の接待員同志が出てきたが、一見の客である私におじぎをして前を通り過ぎて行く。礼儀正しい。この日主に相手をしてくれたのは李同志。ピンクの民族服を着ている。ポッチャリ系だ。食事は軽く済ませるつもりでいたのだが、元日ということでお餅の類がサービスでガンガン出てきた。注文したのはビール一本と二品程度だったのだが、朝鮮式に大量に出てくるミッパンチャン(無料の小皿に入ったおかず)とお餅とでテーブルの上は埋め尽くされ、これでは注文したものより、タダで出てきたものの方が多い。

 我が国では出された料理は全て平らげるのが礼儀である。しかしかの国ではそうではない。お客様の胃袋に収まる程度の料理しか出せないということは恥ずかしいことなのである。それは頭ではわかっている。でもやっぱし全部食べようとしてしまうんだな。これはもう満腹との戦いである。空腹との戦いよりは百万倍いいが。

李同志と料理。この調子でスープやらお餅やらがガンガン出てきた。



3.Everybody stomp!!

 満腹を抱えながら西塔地区北レス調査を続行した私は一旦部屋に戻り、夜、再び金剛山で食事することにした。李同志から「夜は歌いますから是非お越しください。」って言われていたしな。

 昼の反省(?)もあって、あまり大量には注文しなかった私だが、主に李同志とのお話に時間を費やした。瀋陽金剛山では「国際金剛山観光総会社」から派遣された女性が6名働いているのだそうだ。

 彼女達はみな金日成バッジを着用していたが、最近平壌市内では金日成主席の肖像画が晩年の眼鏡をかけたにこやかなものに架けかわっており、バッジも同様に変わっている。これを北朝鮮では「太陽像」というのだが、このバッジが出回ってからすでに7〜8年経過しているそうだ。古いものは捨てるわけではなく返却するんだと。また金日成主席、金正日総書記を称える歌を「称頌歌」というのだとか、そういう話をしているうちに客が増えてきた。バッジをつけた、明らかに北朝鮮の人とわかる客が多くなり、接待員同志達と何事か楽しげに話している。そして公演が始まった。

李同志はステージに立たず、主にこの3名で進行された。ヴォーカルの女性は韓国人客に「どこの音楽大学を卒業したのか?」と尋ねられていた。ところでこのベースの女性のチョッパ奏法はBrothers Johnson並のハジけ具合であったが、背筋を伸ばしたまま、淡々と弾いているそのミスマッチがなんとも言えず良かった。


4.8時で閉店です

 公演は7時20分から始まったのだが、終了と同時に客はほとんど帰ってしまい、気がつくと満腹と戦っているのは私一人だけだった。李同志も一旦後ろに下がったかと思うと、なんと普段着姿で再登場。「今日は8時で閉店するんですよ。」と言う。

 なんでも元日のお祝いの会を市内某所で開くんだそうで、瀋陽市在住の北朝鮮の人たちと合同なんだそうだ。ってことは他店の接待員同志達も来るのだろうか?う〜ん、華やかな席になりそうだ。

 でも元日でこれくらい賑やかに祝うのだったら、朝鮮の名節とされる金正日総書記の誕生日や、太陽節(故金日成主席の誕生日)はどうなっちゃうんだろう!?是非一度確認したいと思うのだが、2月16日も4月15日も休みにくいんだよなあ・・・。

満腹で倒れそうだったが、気合で着替え後にツーショット。普段着の北レス接待員同志の画像は珍しい。李同志はフツーのセーターにピンクのダウンを着ている。こうして見ると、その辺にいるフツーの女性と全く変わらない。サインしてもらっちゃった。下段に「瀋陽市平壌金剛山食堂」と書かれている。

西塔の北レス密集地域からは少しだけ離れている。名刺に簡単な地図が見えるが、朝鮮族百貨店を背にして左側に歩き、右側に見える「寧大賓館」のところで曲がるとよい。名刺には「旅行社団体歓迎」なんて書かれている。

2004年1月1日訪問

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