金正太郎同志のシェムリアプ平壌冷麺レポート

 金正太郎同志がシェムリアプ平壌冷麺を訪問、レポを送ってくれました。青字部分が例によって私の突っ込みです。

 シェムリアプの平壌冷麺は市内から空港に続く舗装道路の国道6号線沿いにあります。 「地球の歩き方」にも「ピョンヤン」と書いてありますが、それは旧店舗で、確認したところ現在は閉鎖されていました。道を挟んで南東方向に店は移転していましたが、距離は近く、看板も出ているので見落とすことはないと思います。なお、周辺にはコリアンレストランが極めて多いです。っていうかアンコールワットはじめ、シェムリアップ中が韓国人ツアー客だらけとなっています。明らかに日本人客より目立つ存在になっていて驚きました。

 バスが止まっていますが、よく見ると韓国の「ハナツアー」の文字が見えます。韓国人観光客はこのように大挙してやってくるのですね。店内の様子を見ても巨大北レスであることがわかりますね。

 さて、平壌冷麺はそんなツアー客を見込んで巨大な店舗を作っていました。席は400-500席。昼飯時に行ったので、うち8割は埋まっていました。スタッフはみんな共和国の女の子たちです。入り口には地元のコッチェビがたむろしています。

 エントランスの掃除をする女の子がすごーく迷惑そうな視線を投げかけていましたが、コッチェビはずーっと常駐していました。ただ、k-oyajiは「おぁらぁぁ、あっちいけぇぇ」というようなすごい形相で追っ払っていたので、ここで物乞いしてもあんまり実入りはないのになぁと思いました。

 コッチェビ=要するに子供の乞食ですな。こんなに堂々と居座られたんじゃ、そりゃ迷惑ですわな。K-oyajiはこういう場合、容赦がありませんな。

 ここではすべてドル決済、メニューは英語、漢字、チョソングルが併記されています。 冷麺を食いたいところですが、腹が減っていたのでタンコギを注文しました。担当してくれたのは全(JON、22歳)さん。「下の名前は?」と聞くと「日本語で「スバル」って知ってる?」といいます。「え、じゃあここに書いてよ」というと「新星(SAE BYOL)と書いてくれました。なんか光明星を超えるいい名前だなぁとおもいました。小顔でとっても利発な顔立ちの子でした。ちなみに犬の肉はカンボジアでは手に入らないので「バンコクから持ってくるの」といっていました。

 おお。これはナニゲにいい情報です。朝鮮族のいる中国と違って東南アジアは食文化が違うでしょうから、食材の調達には興味があったのですが、同じ東南アジアでもカンボジアとタイは違うのですね。

 さて肝心のショーですが、これがまたすごい。バイオリンを持った同志がポール・モーリアを速いテンポで弾きます。また、同志の1人はハイテンポな音楽で踊りまくります。あまりの速度戦ぶりに韓国人客からは感嘆の声がもれました。デュオによる歌では「口笛」や「私たちの民族が最高だ」といった曲目がミックスされて歌われましたが、日本人のくせに曲が終わるころには、ちょっと感動するほどの歌声でした。

 ポール・モーリアといえば、私は親に隠れてこっそり見た11PMしか思い浮かばないのですが、あれってオリーブの首飾りでしたっけ?チャララララーン。

 その間、5人のダンサー役の同志たちは一旦、外に出て水たまりにサンダルの底を付けます。空いた席にあるコップに入った水を床に落として水を付ける子もいました。そしてステージへ。キーボードに合わせてぐるぐる踊ります。その激しさや、すごいこと、すごいこと。カメラで撮影を試みたのですが、早すぎてたいていピンぼけであります。回転技ではチマからパンツが見えそうでしたが下はペチコートだったので見えない構造になっていました。

 おおおっ!!回っているっ!!それも激しくっ!!速いっ!!速いぞっ!!チマがビランビランに翻っているぞっ!!チマの内側にあるのはソクチマ(内スカート)だぞっ!!
 これが全セッピョル(新星の意)ちゃんですね。おっと物品販売もしてるんですか。「ナマ蜂蜜」といった文字が見えます。

 前に平壌で写した写真を持って行ったのですが、これが大受け。翌日昼にも顔を出したのですが、「共和国に行ったことのある日本人」という噂は多くの店の子に伝わっていて、全然、きのう見なかった子がオーダーを取りに来たのですが、「平壌の写真、見せてよ」と頼まれました。衣装は昨日とうってかわってきょうはピンクのスーツ。コスチュームにこだわるなら、毎日、いかねばなりませんな。大箱ですが、カンボジア人を雇ってないのと、意外に英語ができる子が多いので、朝鮮語ができない小生にとってはなかなか楽しかったです。ただ、難点は便所でk-oyajiたちが洗面台を独占し、髪や上半身を洗うなどスゴいことをやっていたことぐらいでしょうか。「〜ご一行様」とかいう紙もテーブルに貼ってあったので日本人ツアー客にもなじみ深い店になっていました。

 金正太郎同志は数多い北レス訪問体験から、平壌の画像を見せてあげればモテるということをつかんだようですな。私は北レスでモテるコツは人には教えないことにしているのですが、自ら探し当てたのなら文句も言えますまい。長く故郷を離れて暮らす彼女達、やはり平壌の画像は大喜びなのでしょう。
 以前、ローチョンガー同志が2004年3月に同店を訪問しレポを送ってくれましたが、その時とは名刺のデザインはほぼ同じながら、裏面に書かれたお店の位置が違っており、引越したことがわかります。また表面には支配人と思しきコリアンの名前(モザイクかけましたが)が加えられています。この項、画像も名刺もすべて金正太郎同志の提供による。(2007年3月訪問)

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