トルクメニスタン旅行記(1)陸路でロキロキ。おっと迎えが来ない!!でも入国できちゃった。
 中央アジアの国、トルクメニスタン。1991年にソ連から独立したこの国は、ニヤゾフ初代大統領の個人崇拝が進み、街中にその肖像画が溢れていたという。しかしそのニヤゾフ氏は2006年12月に急逝。現在では2代目のベルディムハメドフ大統領が統治している。

 観光ビザ取得のためにはトルクメニスタン側の招待状が必要であるのみならず、全日程の移動手段とホテルの予約、そしてガイドが最初から最後まで付いてくることが条件である。旅行者に対する自由の制限といい、街中に溢れる肖像画といい、一部では「中央アジアの北朝鮮」とも呼ばれるトルクメニスタンは北朝鮮マニアなら一度は訪れてみたい憧れの国(?)である。私は2009年9月に突如出現した第2盆休みの9連休を利用し、かつてからの念願であるトルクメニスタン行きを実現させたのだった。果たしてトルクメニスタンは本当に北朝鮮っぽいのか!?
 
2009年
   9月20日(日)  ソウルからタシケント(ウズベキスタン)到着。
 1日目  9月21日(月) タシケントからウズベキスタン航空国内便でトルクメニスタン国境近くのウルゲンチへ。
ウルゲンチ空港から車で国境のSHOVOT出入国管理所へ。出国。緩衝地帯を国境専用バスで移動。
トルクメニスタン側ダショウズに入国。ダショウズでロキロキ。
ダショウズ空港からトルクメニスタンの首都、アシュガバット到着。
 2日目  9月22日(火) アシュガバットでロキロキ。
 3日目  9月23日(水)
 4日目  9月24日(木) アシュガバットから空路トルクメニスタン北部のトルクメナバットへ。トルクメナバットでロキロキ。
車でウズベキスタン国境のFARAP出入国管理所へ。出国。緩衝地帯を歩いてウズベキスタンへ。
ブハラ空港からタシケントへ。
   9月25日(金)  タシケント市内。夜便でソウルへ。

 1.陸路でロキロキ
 ゆうべタシケントでベッドに入ったのが夜中の12時過ぎ。今朝7時10分の飛行機に間に合わせるため4時起床である。眠い。それでもタシケントからウルゲンチまで1時間半かけて国内線で到着。専用車で国境へ向かう。ウルゲンチは小さな街である。ドライバーさんの他に小学校高学年くらいにしか見えないこどもガイドが英語で街の紹介をしてくれる。「今日は祭日なので人出が少ない。」そういえば今日でラマダンが終わるのだ。1時間後、国境へ到着。こどもガイドに別れを告げて出入国管理所へと向かう。

 私は陸路の徒歩国境越えは初めてではない。香港/深せん、珠海/マカオは何度も越えている。しかしそれはいわばゴージャス系。双方の管理所は立派なビルで、緩衝地帯には多くの免税店さえある。しかし今回の国境には何もない。免税店どころか両替所もない。当然ながら日本語も中国語も朝鮮語も通じない。緩衝地帯なんかただの一本道である。ドキドキしてんのに審査官が「Do You speak Russian?」ロシア語できるわけないだろーっ!!しかしパスポートチェックも荷物検査も時間はかかかりながら問題なく終わり、ウズベキスタン側SHOVOT国境から緩衝地帯へ。

 ここからトルクメニスタンまでの緩衝地帯を延々歩かされるという事前情報があったが、歩き出そうとするオレに係員がここで待てという。頼みもしないのにマイクロバス(無料)がやってきてトルクメニスタン側ダショウズ出入国管理所へ。歩く必要はなかった。
ウルゲンチ空港は小さな空港である。タシケントから到着した乗客はターミナルビルの中を通ることなくビルの横から放り出される。 ウズベキスタン側SHOVOT出入国管理所に向かうところ。近くで撮ると怒られそうなので遠くから。この手前にすでにゲートがあり、パスポートの提示がないと通れない。

2.ガイドさん来ない!!こりゃまたどういうワケだ??

 やがてトルクメニスタン側入国管理所へ。管理所の上部には肖像画が。おお!!いきなりニヤゾフ様のお出迎えかっ!?・・・と思ったが2代目大統領の肖像画だった。実はこの時点では初代と2代目との区別がまだついていなかったのだ。えー、たしかズラっぽい方が初代で・・・ってなことを考えているヒマもなく入国手続きへ。出入国管理所の中にも大きな2代目の肖像画がある。予定ではここでトルクメニスタン側のガイドさんが現れ、入国の手伝いをしてくれることになっている。てゆっかそうしないとトルクメニスタンには入国できないのだ。しかし・・・いないな。どう見てもこの狭いスペースに人待ち顔の現地人はいない。

 私は窮地に陥ってしまった。これまでも外国でトラブルに遭遇したことはあったが、入国できないかも知れないなんて初めての経験である。このままガイドが現れなければここで野垂れ死にか?入国前だけどトルクメニスタン側にいるからトルクメニスタンで死んだことになるのか?いやでもそうなる前に日本大使館が助けてくれるだろう。でもここ首都じゃないし・・・

 なんてことを考えながらも、とりあえずできるところまで自分でやってみることにした。パスポートと、あらかじめ旅行社から渡されていた招待状を入国審査窓口へ。一旦パスポートを預けると、「ビザ代として55USDかかるからこの書類を持って横の銀行窓口に行け。」と告げられる。書類を銀行に提出し、60USDで5USDおつりをもらえるもんだと思っていたら、「あと9USD必要だ。」と言う。結局69USD取られたが、旅行社からは80USDと言われていたので損した気はしなかった。

 しかし、ここで問題が。入国カードが書けないのだ。全く読めない。キリル文字だったらまだ諦めがつくが、アルファベットに近いのでこりゃトルクメン語なんだと思う。なんとなく発音できなくもないがさっぱり意味がわからんというのがアタマ来る。と、そのとき救いの手が!!たまたま、ほんっとたまたま、別の日本人旅行者を迎えに来ていた日本語ガイドが手伝ってくれるというのだ。トルクメニスタンには日本語ガイドは存在しないと思っていたが、このガイドさんは流暢な日本語を話す。「(現地人日本語ガイドは)私が一人目です。アシュガバットで学びました。」とのことだった。ありがとう!!助かった。

 合計すれば69USDになる領収書を4枚と入国カードを持って再び入国窓口へ。ここでビザの貼られたパスポートを返してもらい、荷物チェックを受けて晴れて入国。トルクメニスタンの係員はおおむね愛想がよく、日本語で「コンニチワ」とあいさつもしてくれた。
   
こんな領収証を4枚ももらったよ。よく見るとバックには緑の細かい文字で「TURKMENBASHIBANK」とたくさん書かれている。初代大統領のニヤゾフ氏の別名、「トルクメン人の首領」の銀行といった意味だろうがこの時はそれに気づく余裕などなかった。 トルクメニスタン側に一歩入ったところ。ホントに何もない。この後、羊飼いと羊の団体さんが横切っていった。トヨタ車が多い。

 結局ウズベキスタン側から入ったのが9時40分でトルクメニスタン側のダショウズに出たのが11時10分。陸路の国境越えは時間がかかるものであるが、1時間半ならまあいいだろう。いや、待てよ。ガイドさんいないのに入国できちゃったなこりゃ。なんでだ?

※北朝鮮では・・・中国と川を挟んで国境を接しているが、北朝鮮の南陽から中国の図們までと、中国の圏河と北朝鮮の元汀間を徒歩で図們江を越境したことがある。橋を渡るだけなので距離は短い。ただし北朝鮮は陸路で出国する時、異常に荷物検査が厳しく、荷物をすべて見られることも珍しくない。デジカメ画像を全枚チェックされ、一部削除を要求されたこともある。中国の入国審査はまあフツーである。

3.ガイドさん現る。トルクメニスタン観光スタートだ!!

 これが自由旅行だったらこのまま白タクをチャーターして市内観光に出かけていたであろうが、今日は夕方の飛行機で首都のアシュガバットに向かうことになっており、航空券はガイドさんが持っているのだ。どうなっているのか東京の旅行社に電話したところ、トルクメニスタン側の旅行社と連絡を取ってくれることになった。しかし時間は刻一刻と過ぎて行く。

 旅行者を狙ってわらわらと寄ってくる白タクの運転手達。明らかに顔つきの違う外国人である私は格好のターゲットであろうが、乗車を拒みながらも焦った表情で電話で大声で何事か訴えかけている私を見て不思議そうな顔をしていた。。
こいつらのうち半分くらいが白タクの運転手で残りが出迎えに来たフツーの人。  トルクメニスタン側から見たダショウズ出入国管理事務所。緑の建物の上に2代目大統領の肖像画が見える。
 
30分経過・・・まだ現れない。本当に来るのだろうか?この時の私はこれまでの人生で最も心細そうな顔をしていたに違いない。

1時間経過・・・やっぱり現れない。白タクの運転手も私が窮地に陥っていることを悟ったのか「迎えが来ないのかい。そりゃ困ったな。じゃあ乗っていきなよ。」とセールストーク付きの客引きに変えてきた(うまいなこいつら)。しかしその白タク運転手どもも次々に客を見つけて代替わりしてゆき、新たな客引きがまたわらわらと寄ってくるのであった。

 1時間40分経過した12時50分。小ぎれいな日本車と共についにガイドは現れた。連絡に行き違いがあったのか13時待ち合わせと思っていたのだ。・・・会えてよかった。ガイドは出入国管理所に手続きしに行くから少し待ってろと言う。ガイドが持ってきた「ENTRY TRAVEL PASS」や「DEPARTURE SHEET OF THE FOREIGNER」という書類に入国許可印をもらう必要があり、これがないと外国人はホテルに泊れなかったり出国できなかったりするのだという。一人で入国できたにしても、ガイドさんがいないとやはり身動きはとれないのだった。

 この1時間後に雨が降り出したが、その前に会えてよかった。香港/深せん国境のようなゴージャス系なら雨が降ろうが風が吹こうが関係ないだろうがこのようなカントリーロードテイクミーホーム系だと雨の中の国境越えは大変だろうと思った。専用車でダショウズ市内に向かい、カフェで昼食にした。早朝にタシケントで軽い朝食をとっただけでお腹も空いていたし。

※北朝鮮では・・・日本人客が団体で人数が多い場合、現地案内員(ガイドさん)が空港ビルの保税エリアまで入ってきて団体ごとに並ばせるなどして入国が円滑に進むように配慮してくれる。私は一人で入国したことが数回あるが、その場合は一人で入国手続きと税関検査を済ませて入国し、そこで案内員が出迎えてくれる。いずれにせよビザと入国カードはあらかじめ持参していくので「入国」はできる。ただし空港から平壌市内までの公共交通機関がないので、出迎えがないと身動きがとれない。

4.ダショウズでロキロキ

  ガイドさんが「何か見たいものはありますか?」と言うので「革命的なモニュメントを見たい。」と答えると「・・・・・?」という顔をする。私は初代ニヤゾフ大統領の肖像画や銅像を見たいという意味で言ったのだが、ニヤゾフ氏はソ連共産党第一書記から選挙の結果初代大統領に就任したのであり、「革命」によって権力を獲得したわけではなかったのだ。「革命的=ヘンなモニュメント」という先入観は大いに反省せざるを得まい。それはさておきダショウズ市内の銅像を案内してもらうことにした。一気にロキロキ気分が高まってきた。
   
 おおおっ!!こういうのが見たかったんです!!中央に金ピカのニヤゾフ先生が!!カメラを手に駆け寄る私。やっとトルクメニスタンに来たんだ!!  やっと会えたのかニヤゾフ同志。手に持っているのは自らの著書にして国民必読の「ルーフナーマ(魂の書)」であろう。
   
 あんまりうれしいので横からも撮ってしまった。いやあロキロキするなあ。  この頃から雨が降り出し、風も強くなってきた。風にはためくトルクメニスタン国旗。多くの国旗をいたるところで何度も見た。
 
 ガイドは降り出した雨の中、はしゃぎながら写真をとりまくっているオレを見てヘンなヤツだと思ったのかもしれない。「Do You like rain?」なんて言いながら車から出てきた。もう一箇所あるというので向かうことに。

   
三角形の建物はレストランだった模様。 右手に何か持ってるがルーフナーマじゃないな。

 この公園、雨のため人はいなかったが、ダショウズ市民の憩いの場なんだろうと思うことにした。この時午後2時。ダショウズの街からは片道2時間かけて10世紀頃に建てられたイスラム建築を見にいく人も多いのだが、17時40分発の飛行機で首都のアシュガバットに向かうことになっているし、そもそも希望していなかったので余った時間をどうしようと思っていたところ、ガイドさんが「私の家で休んでいきな。」と提案してくれた。

 私はこの提案に大いに驚いてしまった。外国人の入国にこれだけ厳格なこの国のガイドが、自宅に外国人客を、頼まれもしないのに招いてくれるという。朝早かったこと、入国後ずっと不安な気持ちで待っていて疲れていたこともあり、このお誘いに乗ることにした。

※北朝鮮では・・・ガイドは気さくで親切な人が多い(一部カタブツもいるが)。しかし日本人客を自宅に招くなど想像さえできない。ちなみに韓国人と仲良くなると、やたら自宅に招きたがる。

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