トルクメニスタン旅行記(2)帰りますからあとはごゆっくり
 やっとガイドさんと会えて晴れてトルクメニスタン観光をスタートさせた私。ガイドさんの自宅へのお誘いに乗り、お邪魔することにした。いきなり現地人の家に行けるなんて思いもしない展開である。
 
 5.肖像画?ないよそんなもん。
 今回訪問するトルクメニスタンの都市は、ダショウズ、アシュガバット、トルクメナバットの三箇所である。トルクメニスタン旅行は最初から最後までガイドが付いてくる必要があるが、3名とも日本語は話せず、英語のガイドである。実は私が今回の旅行で最も懸念していたのはこの点であった。

 私はアメPOPは大好きだが英語はさっぱりである。しかし3泊4日のトルクメニスタン滞在中、英語で通さねばならないとなれば、何らかの準備は必要であろう。そこで私は考えた。片道1時間の自動車通勤の途中でよく聞いているアメPOPを、漫然と聞き流すだけではなく集中的に聞くことにしたのだ。

 しかし、「そういえばジョージ・ハリスンの昔の曲にいいのがあったな。」とか、「ホール&オーツのあの曲は何のCDに入っていたっけ?」とか、集中して聞けば聞くほど曲の購入にアタマが行ってしまい、結局はiTunes storeを儲けさせるだけになってしまった。

 ダショウズのガイドは20代の若い男性。流暢な英語を話す。車で自宅に着き、中に入ると空間が広がっていてウェイトトレーニングマシンなんかが置いてある。日立の掃除機もあった!!広い物置とも思えるその空間を通過して靴を脱いで上がると「疲れたろう。」と言って枕と毛布を持ってきてくれて、ソファに横になれと言う。

 個人宅だったので家の中を動き回ったり写真を撮ったりすることは控えたが、ただ一つ質問をした。

オレ「肖像画はないの?」
ガイド「何の?」
オレ「この国のリーダーの。」
ガイド「・・・?。ないよ。」
オレ「こういうふうに(と頭の上のあたりに四角い形を示して)飾ったりしないの?)」
ガイド「しないよ。」

・・・そうか。ないのか。外国人をこのように家に上げて問題ないのかなんて質問はするだけムダだと思ったのでご厚意によりソファに横になった。2時過ぎから4時近くまでうとうとしながら横になっていたように思う。やがて出発の時刻。外に出ると専用車が待っており、近所の子供達が私を物珍しそうに見ていた。この一角は普通の住宅街といった感じだが、パラボラアンテナを備え付けた家が非常に多いことにこの時気づいた。

 午後4時にガイド氏宅を後にしてして空港までわずか10分程度。短いダショウズ滞在だったが首都アシュガバット行きの飛行機の搭乗手続きが始まる。

※北朝鮮では・・・後にアシュガバットのガイドから聞いた話だが、パラボラアンテナなど100USDもあれば設置可能で、みんなCNNとかBBCとか見てるとのこと。北朝鮮では想像もつかない話だ。ただし北朝鮮でも外国人用ホテルでは海外の衛星放送を見ることは可能で、私は2004年3月、いかりや長介の死を平壌高麗ホテルの客室のテレビのNHKBSで知った。でも同じホテルに泊っていた現地ガイドの部屋では衛星見られないってのは北朝鮮らしい話だ。


6.パチンコの景品交換所で搭乗手続き

 午後4時10分に空港到着。アシュガバット行き飛行機は5時40分。まずは荷物の安全検査を終了。次に搭乗手続きだと思ったのだが、案内されたのは・・・例えて言うなら相手の顔の見えるパチンコの景品交換所だろうか?透明の仕切り板の向こうに係員と思われるオバさんがおり、手元の穴から航空券の受け渡しをするのだ。またオバさんの足元にはいかにも「台秤」という感じの平たい金属が鎮座している。これで機内預け荷物の重さを量るのだな。全く何の飾り気もないチェックインカウンターである。航空会社の名前さえない。
 


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 航空券。これがチェックインカウンターでボーディングパスに化けるのだと思ったが角印押されて結局このまんま帰ってきた。これで搭乗するのだ。約1時間のフライトで20USDだから日本の感覚から考えればかなり安い。 搭乗手続きが終わりこれで待合室行きかと思えばまだ手続きはあり、ガイドからもらったこんな書類のチェックがある。迷彩服を着た軍人がザラ紙の台帳に氏名とパスポート番号を書き写すのだ。ちょっと待て「Koneurgenc(キュネウルゲンチ)」、「Mary(マーリ)」ってオレが行かないところまで書かれてある(笑)。 

 ザラ紙の台帳に氏名を転写されていたのは外国人だけだった模様。トルクメニスタンに入国してまだ半日も経過していないが、外国人に対する管理は手続き上厳しい。でもこの厳しさにいったいどんな意味があるんだろうと疑問に思えてきた。ここで短時間ながら世話になったダショウズのガイドさんとはお別れ。
ダショウズ空港の搭乗待合室。画像では伝わりにくいが本当に小さなものだった。女性がなんとなく民族衣装っぽいのがわかるだろうか? 搭乗待合室で。これ見ると中国からもアシュガバットに飛んでるように見える。トルクメニスタンの旅行社、DNツアーズのサイトでは北京に飛んでいることになっている。
   
 搭乗開始。滑走路側から見たダショウズの空港ターミナル。  2代目大統領の姿が見える。2代目の露出度もなかなかのものだとこのあたりで気づいた。

※北朝鮮では・・・私の初訪朝の1987年当時、現地ガイドは「わが国は国土が狭いので国内線は必要ないのです。」なんて言ってたなあ。ソウルと釜山の間に一日何便飛んでいるか知ってるんだろうか?いつだかたまたまEUの特別機がいて、平壌空港の案内板に堂々と「SEOUL」と書かれていたのにはロキロキしたなあ。

7.これで帰ります。ではまた明日。

   
 おお!!機内に2代目の肖像画。堂々と撮ると怒られそうなんでこっそり・・・ シュガバット到着。たった今乗ってきた飛行機。そういえばボーイング717−200って日本で見たことないな。
   
 このトルクメニスタン航空の塗装は中国南方航空に似ている。右上の画像の緑の塗装の方がスッキリして好きだけど、2代目になってからの国家紹介DVDに出てくるのでこっちの方が新塗装か? 空港の外に出た。おお!!「TURKMENBASY=トルクメンの首領」と書いてある。初代の名前が空港に残っているわけだな。生前はここに肖像画もあったと思いたい。

 アシュガバットのガイドさんは事前の案内では男性だってことになっていたが、現れたのは若い女性。外国人に対する監視役も兼ねているのだろうと思っていたが、監視役と呼ぶにはあまりにも可愛らしい20代前半から半ばくらいの白人女性である。ロシア人とトルクメン人のハーフだというその女性はナターシャ(仮名)と名乗り、私を宿泊先のグランドトルクメンに案内してくれた。

   
空港近くのモニュメント。歴史上の英雄だという。この国にはやたら噴水が多いということに徐々に気づいてゆく。 大理石の建物。このような白い建物がやたら多いことにも徐々に気づいてゆく。
ホテルで滞在登録のため一晩パスポートをフロントに預け、すぐ夕食へ向かう。道中、白いバスとすれ違った時にナターシャが「街を走っている新しいバスは中国製です。」と言っていたが、あの見慣れた「H」マークは韓国の現代社製である。この現代社製のバスは滞在中何度も目撃することになる。

   
 こういう日韓家電連合軍みたいなビルの地下に洒落たレストランがあり、そこで食事をすることにする。  シシカバブ(羊肉)アーンドご飯。これにサラダとビールで夕食にした

 このレストランには同伴出勤かと思わせるハデなメイクをした女性とオヤジのグループとか、ちょっと金持ちっぽい若いアベックなんかがいた。照明を落として熱帯魚を放した水槽なんかがあっておしゃれなむんいきである。この時午後7時半。

 トルクメニスタン初めての夜である。ガイドがずっとついてくると聞いていたので当然ナターシャと一緒に食事するのだと思ったら・・・

ナターシャ「これメニューです。じゃ私は帰りますから。」
オレ「・・・へ!?帰るの?」
ナターシャ「はい。帰ります。運転手が外で待ってますからそれでホテルに帰ってください。」
オレ「・・・あ、そうなの?」
ナターシャ「明日は9時に出発しましょう。ではまた。」

・・・そういうものなのか。最後までキビし〜く監視してくれるわけではないのか。この後専用車でホテルに戻ったにしてもこれじゃ外出し放題だな。ってなことを考えながら食事にした。シシカバブは冷たいビールによく合ってとても美味しかった。

※北朝鮮では・・・最後の夕食まで現地ガイドが同行する。てゆっか食事の場所もあらかじめすべて決められている。ホテルに戻ってからは「出かけたい場合は私(ガイド)に話してください。」と、やんわりと外出に制限があることを言われる。また平壌市内には外国人が飲みに行けるカラオケスナックが何軒かあるが、ガイド同行でなければならず、付いてきたガイドの方がたくさん飲んだりする。
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