シベリアに北レス発見。ウラジオストク平壌食堂(平壌館)

 3月上旬、チロ同志はシベリアに向かった。ごくフツーの出張のはずだったが、実は私の密命を帯びていたのだ。それはウラジオストク、ハバロフスクでの北レス調査である。

 私は1988年、ソウル五輪直前にハバロフスクを訪問。当地では地元民が経営する朝鮮料理レストランが存在し、ロシア人がおいしそうにキムチを食っていた。

 また市場では朝鮮系ロシア人が手製のキムチを売っていた。当時外国人が宿泊できる唯一のホテルだったインツーリストホテルのロビーではキューバ人が楽しそうに踊っており、シベリア鉄道の発車風景を見ようと駅に行ったら、バッジをつけた日焼けした若い男性がたたずんでいたものである。

 北レスは中国を中心にベトナム、カンボジアでもその存在が確認されているが、ロシアにもあるみたいなカンジが限りなくする。そこで私は出張に行くチロ同志に密命を与えたワケだ。その内容はこうである。まずは地元民にその存在を聞いてみる。そして

level1 場所を探し当てて写真を撮る。
level2 お店の名刺をゲットする。
level3 食事する。
level4 接待員同志の写真を撮る。
level5 接待員同志とツーショット写真を撮る。
level6 接待員同志とデュエットする。
level7 その曲の歌詞を書いてもらう。

 その結果、ウラジオストクで実際に北レスの場所を探し当て、画像の撮影に成功したのであった(level1)。エラいぞ!!チロ同志!!場所はコロナホテル1階だ!!

 左端が「平壌食堂」と書かれた看板(ロシア語では“平壌”と書かれているそうである)。この看板が通りに面しており、右2枚の入口が奥まったところにあるのだ。注目すべきは中央の金色の輝くハングルは「平壌館(ロシア語で“カフェピョンヤン”)」と書かれている。でも「平壌食堂」とどっちが正しいんだ!?

 このように同一の店によく似た二つの名前があるという現象は北京玉流館(宮)でも報告されているが、ここウラジオでも現出してしまった。これはよく言われるコリア的ケンチャナヨによるものなのか、それとも深〜い理由が存在するのかは今後の研究を待たねばならぬが、店名という極めて根源的な部分に関わる問題だけに徹底した究明が望まれる。

 また同時にロシア語名も二種類存在しており(“ピョンヤン”と“カフェピョンヤン”)、“カフェピョンヤン”とは冷麺とチジミを食べているとチマチョゴリ姿の女性がコーヒーとパッピンス(あずき氷)を持って現れるという、どえりゃー名古屋チックな食の風景をイメージしてしまうが、ロシアでいうところの「カフェ」とはもっと軽食堂というのか、ファーストフードに近いようなものではあるまいか?

 従ってカフェピョンヤンのメニューもそれほど多種多様ではなく主食を中心としたシンプルなものと予想するが、真実は訪問してから確認することにしたい。それにしてもここで働いている接待員同志はどんな日常生活を送っているのであろうか。ハルピンよりもはるかに北に位置するウラジオ。基本的にはプライベートに立ち入らないのが北レス取材の原則ではあるが、常夏のシアヌークビルや、大都会の上海とは明らかに違った生活があり、そんな環境でも彼女達はけなげにご奉仕しているのであろう。 

 ところでこの看板、ピンクの花は桜じゃないか?桃じゃないよな。桜は日本の象徴じゃないのかフツー?それから看板にいきなし冷麺ってのも北レスとしてはけっこう珍しい。器が朝鮮式の銀のものではなくガラスに見える。多分実際にウラジオで作ったものを撮影して看板に使ったのであろう。なお、ハバロフスクでは市場の朝鮮系ロシア人から「以前はあったがなくなった。」との証言を得ている。                     
                                   (2005年3月上旬チロ同志訪問)

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