キミはまだ仁川を知らない/仁川上陸作戦記念館訪問記てゆっかフェリー試乗記


 2007年12月29日、私は韓国経由で中国に行く途中、仁川で一泊することにした。そしたら複数の同僚から「オマエ、空港に泊まるのか?」と真顔で聞かれた。空港の中にはトランジットホテルがあり、快適に休むことができるのだがそれはさておき、日本で「仁川」といえば思い出すのは空港であろう。

 しかし、この仁川市、朝鮮戦争の戦局の重要な分岐点である仁川上陸作戦の舞台となったところであり、同時に韓国第3の都市でもある。私は今回この仁川市にある「仁川上陸作戦記念館」を訪問するため、仁川市の海沿いにある月尾島に宿をとることにした。

1.踊るアメ売り屋さん
 仁川空港から月尾島に向かうにあたり、私はフェリーを選択した。仁川空港は永宗島という島にあり、そこから月尾島(島とはいえ実際は仁川市側と陸続きになっている)まで船が出ている。まずは空港からバスで船着場に向かうことにした。
 
 その車内。フロントガラスの向こうに見えるKALリムジン様に続いての出発だ。そういえば韓国に来てこういうビニールシート張りのフツーのバスに乗るのって、かなり久しぶりだ。フツーのバスだけあって、車内の落書きのレベルもファンキーでヨい。パンダだろうかリスだろうかそれとも猫だろうか・・・ってなことを考えているうちに、バスが右に大きくカーブを切り体がビヨーンとするを感じがした。まるで飛行機が離陸するときようなカンジを横からカンジるようだ。ハンドルの切り方が荒いのだ。後ろに客を乗せていることなど頭の中にないかのように、カーブのたびにハンドルをギュインギュインに回転させている。車に弱い人なら絶対に酔ってしまうであろうこの運転、終点の永宗島船着場まで続いた。

※仁川空港から永宗島船着場行きかた
・仁川空港に着いたら、そこは1階の到着階なので、3階に上がる。
・5番乗り場から毎時55分に出ている222番バスを待つ。GOGOGO!!ニーニーニー!!なんのこっちゃ。
・バスが来たら1,000ウォンを運転席横の料金箱に放り込み、あとはひたすら荒い運転を楽しむ。
・約30分で到着。永宗島船着場は終点である。

 
 上がそのバス。船着場到着後、扉をバタムッ!!と閉じてそっけなく去ってしまった。後姿もまたそっけない。ハンドルをギュインギュインにして車庫へ帰るのだろう。右が船着場。「永宗島⇔仁川(月尾島)」と書かれている。バス停の目の前だ。
 
 上は船着場前のナゾの屋台。「月打令」のポンチャクアレンジなんかをラジカセで流しながら、ハサミをカチャカチャ鳴らしてリズムをとりながら売り子が踊っている。画像ではわかりにくいが明らかに踊っているのだ。なんとこれはアメ売り。「ゴマアメ」とか「カボチャアメ」とか書かれている。仁川の船着場だから海産物だろうという思い込みは見事に砕かれてしまった。ファンキーなノリのデンスがなかなかヨい。

 右は車がフェリーに飲み込まれていく様子。人間さまは切符売り場で片道2,500ウォンの切符を買い、そのまま改札の軍人みたいなカッコをした係員に切符を渡すと無愛想に「進め」と手で合図され、車に注意しながら通路の右端を歩いて船に乗らせていただけるのだ。


2.世界で一番マヌケなマネキン

 やがて船は16時55分に出港。ただちに船の中を観察することにした。目的地の月尾島まで15分もあれば着いてしまうというこの船、船内観察も時間との勝負である。そうしているうちにこんなものが・・・

う〜ん・・・これは消火栓なんですが、「水龍帯箱」という浮き彫りが見えますね。船の名前は「西海9号」なんですが、以前は中国で使われていたのかなあ。

洗面所の陶器には「唐山」の文字が見えたし消火器には「上海」の文字が見えました。品質のよい日本製の船が海外でセカンドライフを送っていることはよくありますが、中国→韓国ってのはちょっと驚きました。中国のどこを走っていたのかなあ・・・・・。
 ってなことを深く考える時間などにゃいっ!!到着まであと8分!!もう半分過ぎちゃった。客室に戻って観察を再開したところ・・・
ぶわははははっ!!なんじゃこりゃーっ!!いや、わかるんですよ。救命胴衣はこうやって着るべし!!といういわばモデル着用例を、お客様の安全のために示しているんだってことは。で、でもこのマヌケなピンクの帽子。これは客が勝手に被せたのがそのままになっているんでしょうなあ。で、船会社も“ま、いっか”くらいにテキトーにそのままにしているってことだと思いますよ多分。

いや〜ケンチャナヨな光景だなあ。ええモン見せていただきました。これだけでも仁川に来たかいがあったってもんだ。ぷぷぷぷっ。それにしてもこのマヌケな光景!!
 この船を運航しているのは「ポソンフェリー」だが、この会社は船を4隻所有している。ここで見られるが、他の船にも同じようなマネキンが存在するはずで、同じようなマヌケなコスチュームを強制されていれば面白い。いわば船内強制露出制服放置プレイである。なんだか妙なDVDのタイトルみたいである。しかし放置プレイというほどには客の注目を引いていないのもマヌケである。なんだかロキロキしてきた。私はポソンフェリー所有の他のすべての船のマネキンの調査をライフワークとし、そのうちここに発表することをお約束したい。

3.月尾島文化通りは落書き通りだった

 翌朝、私は早起きして月尾島文化通りを散歩することにした。海沿いにおしゃれな遊歩道が続いていると紹介されるこの通りだったが・・・
 
 月尾島のマスコットの“ウォルディー”とその兄弟か何か。耳の部分がカモメなんだと思う。この通り、マスコットや壁への落書きがひどい。チェヒョクとチョンヨンよ。キミ達がロブロブ(LOVE LOVE)状態なのはよくわかった。しかしそれはウォルディーの顔に書かれることによって昇華されるべき性格のものではないだろう。悪いが君たちのロブは月尾島のカモメのようにいつかは去っていくと断言せざるを得まい。きいーっと伝えてよ〜カモメさ〜ん〜。あ、これは釜山か。
 
 中国からの客もあてこんでいるのだろう。中国語表記も見える。右の画像は通りと海を隔てる壁。こりゃまたヒドい落書きだ。最上段の大きな文字は・・・あ、これは落書きじゃないんスね。夢とロマンの息づく・・ってなことが書かれているがこれじゃあ夢もチボーもないよなあ(古いっ!!)

4.なにかこうチグハグしたカンジ

 今回仁川を訪問したのはマヌケなマネキンを見るためでもウォルディーを哀れむためではなく仁川上陸作戦記念館を訪問するためである。松島エリアの小高い丘の上にあるこの記念館、宿泊していた月尾島からタクシーで20分くらいかかる。圧倒されるような広大な敷地である。

 
 朝9時半の記念館。ひっそりと静まり返っている。展示室に入ると受付に男性が一人。訪問者名簿に記帳しようとペンをとると「書かなくてよい。」と言う。入場は無料。記念館には日本語表記は一切ない。ただし館内にあるジオラマひとつ、動画四つは言語が選択できるようになっており、日本語が聞けるのはありがたい。右は朝鮮戦争当時の金日成。
 
 上はそのジオラマ。激しい艦砲射撃の様子と、当時は本土と地続きではなかった月尾島の様子がよくわかる。屋外展示には兵器の展示が。

 この展示館の創設の趣旨は「共産勢力の不法侵略により陥落危機に陥った大韓民国の危機に対して、UNの旗の下に一致団結し、命を捧げてこの地の民主主義と自由を守り抜いた自由陣営の諸国家と、若者達の崇高な精神と犠牲を永遠に称え・・・ということになっている。」展示をとおしてそれはよく伝わってきた。

 ただし、展示の最後に「北韓の挑発」という年表があり、同じ空間には2000年の南北頂上会談の報道資料が置かれていた。南北頂上会談といえば、対北朝鮮融和政策の象徴。「北韓の挑発」と同じ空間にあることがなんともチグハグに思える。

 さらにそのひとつ手前の空間は「仁川の昨日と今日」という仁川市PRコーナーになっていたが、最近の仁川市の発展ぶりが仁川上陸作戦記念館に誇らしげに展示されていることに違和感を感じた。


 推測でしかないが、以前はここに北朝鮮を非難する展示があったのではないか。以前ご報告した“以北五道庁”は韓国政府の対北融和政策により反共的展示が減らされていったのだろうと推測したが、ここ仁川上陸作戦記念館もそうなのではないか。仁川上陸作戦記念館も南北の微妙なバランスの上に成り立っているのかも知れない。そう思った。ここに来れば燃える反共の雰囲気を感じられるだろうと思っていたわけではないが、広大な敷地に客は私一人。やや寒い思いをしながらタクシーで東仁川駅に向かった。

 これが韓国訪問26回目の私であったが、仁川はこれまであまり本気で訪問したことがなかった。次回はチャイナタウン(ショボいとの情報あり)なんかもゆっくり回ってみたい。ラマダ松島のサウナもグッド。宿泊客でなくても一般客として15,000ウォンで入れてくれる。空港を除く仁川にその一歩を刻んだ私だが、まだまだボクたちは仁川を知らない。それはキミ達も然り。仁川上陸作戦記念館公式サイトはここ
                                            (2007年12月30日訪問)