ni-chika同志の北朝鮮っぽいとこレポート
 韓国と北朝鮮は民族が同じ。鋭く対立していても、「やっぱり同じ民族だなあ。」と思わせる点は多々ある。「私設朝鮮民主主義人民共和国研究室」主宰者のni-chika同志が韓国を訪問。朴正煕大統領ゆかりの地を訪ねました。垣間見える北朝鮮っぽさ。う~んやっぱり同じ民族だなあ。

 ni-chika同志の北朝鮮っぽいとこレポート三部作「朴正煕大統領を探して」をここに一挙公開します。レポートをお寄せくださったni-chika同志に感謝いたします。
朴正煕大統領を探して(1) 亀尾はプチ平壌だった

 今年、韓国では李明博政権が発足したが、新大統領を見て「朴正煕大統領に似ている」と思ったのは私だけだろうか。失礼を承知で言えば、韓国ならどこにでもいそうな庶民のアジョシ顔(アブラギッシュなK-oyajiとはちと異なる)。THE NORTH FACEのジャンパーを着てタバコをふかしていたら、その辺のオヤジと見分けがつかない。
 が、そんな庶民的な故朴正煕元大統領を懐かしむ人々は秘かに多く、日本人の私もまた秘かな“朴正煕ファン”である。尊敬する閣下の生誕91周年、逝去29周年(いずれにせよ中途半端だが)に際し、韓国各地で閣下を偲ぶことのできるスポットを探してみた。これが何というか、どれもこれも北朝鮮っぽいのはやはり同じ民族だから?

1.やはりセマウル号に乗るべし

 まずは閣下生誕の地である慶尚北道亀尾市へ向かう。最近ソウル発のKTXが停車するようになったが、それでも2時間かかり、本数も一日4本と少ないので不便。一方、釜山方面からは直通のKTXがなく、東大邱で乗り換えが必要となる。今回は釜山から向かったこともあり、朝一番のセマウル号に乗車した。まずは上毛洞にある閣下の生家を目指す。
6時35分釜山発、8時24分亀尾着のセマウル1002号。実は釜山~亀尾間ぐらいならムグンファ号でも停車駅はほとんど変わらず、しかも安いのだが、閣下生誕の地を訪問する旅である以上、ここは是非ともセマウル号に乗っておきたい(もちろん「セマウル運動」を意識しての話)。
改札を出て左側(画像では右側)に観光案内所があり、ここで閣下の生家へ向かうバスの番号を聞こうと思ったのに、無人。3部しか置いていなかった観光地図を勝手に持っていったが、表記は全部韓国語。亀尾市のキャッチフレーズは「Yes, GUMI」なのに、外国人観光客は「No」なのか?
亀尾駅は典型的なコレイルのガラス貼り駅舎である。
駅前広場に出ると待機しているのはタクシーばかりで焦ったが(質素倹約を旨とした閣下の生家へ向かうのにタクシーは贅沢である)、駅の北側(画像の右側)へ少し歩くとバス停がある。
亀尾駅構内の看板はKTX停車を歓迎する内容だった。
駅構内はもちろん、駅周辺にも閣下生誕の地であることを感じさせるものは見当たらない。これが日本なら駅前に銅像の一つでも建っているのだけれども。


2.その名もズバリ

 閣下の生家がある「上毛洞」という地名だけを覚えてやってきた私は、駅の北側にたくさん停まっていたバスの中から上毛洞の表示を探し、適当に乗車する。地方都市なのでバスに英語や漢字の表示はないので注意。
 運転手氏は駅前の混雑を抜けると、何かに取り憑かれたように道路を爆走した。今日日ソウルや釜山ではここまで運転の荒いバスはない。
 バスは一旦工業団地に出た。亀尾市の東側には大規模な「国家産業団地」が広がり、韓国を代表する企業の工場が建ち並んでいるが、これらの造成に心血を注いだのはもちろん閣下である(この辺りは田中角栄チックだ)。
 団地内には永生塔を思わせる石塔(コンクリート製かも知れない)が建っており、心秘かに盛り上がったが、バスの運転が荒すぎて激しく揺れ、シャッターを切るに切れなかったので画像は割愛。

 運転手氏は走り屋だったが、韓国にしては珍しく車内でラジオを流さない真面目なオヤジだった。しかしどこまでも走り屋なので、「上毛××」というアナウンスを聞いてすぐにブザーを押したものの猛スピードで通過してしまい、次でようやく停車。
 後で気づいたのだが、このバス停から閣下の生家までは徒歩数分の至近距離だった。が、私は通り過ぎた停留所に向かって逆方向に歩いてしまう。おかげでとんでもない遠回りをする羽目に陥ったのだけれども、実はある意味で正解だった。
おおっ!「セマウル路」だ。
間違って出てきた道路がセマウルというのは何かうれしい。
おおおおおっ!その名もズバリ「朴正煕路」!!
これは間違いなく生家に続く道路。巡礼(?)コースとしてふさわしい。
 ちなみに「朴正煕路」を生家とは逆方向に進むと、運動場がある。ここにはその名もズバリ「朴正煕体育館」があって、時間に余裕もあったので足を運んでみたが、ありがたいのは名前だけでただの体育館だったので画像は割愛。強いて北に例えると金日成競技場みたいなものだろうか。

3.生家はプチ万景台

 「朴正煕路」は比較的新しい道路で、周囲には大規模なアパートが建設中だったりするが、交通量も少なく閑散としている。途中「独島水産」という不快な名称の食堂があり、倭奴の観光客を威嚇……はしないが、これも閣下から与えられた試練と思い、じっと堪え忍んで黙々と歩き続ける。
 30分ほど歩いただろうか、ようやく右手に生家が見えてきた。
「セマウル運動中興」の碑。
生家前は駐車場と「セマウル広場」になっていて、太極旗&セマウル運動旗がたくさん掲げられていた。更に、生家までの坂道にはセマウル住宅(農村のモデル住居)も並んでいる。
おおおおおっ!閣下の書の石碑である。こういうのが見たかったのだ。
「我が一生祖国と民族の為に 1974.5.20 朴正煕」……韓国の発展に尽くした閣下の信念がにじみ出ていて、何かウルウルしてきた。
稲の実り具合を確認されている閣下の写真!
実は、金日成主席にもこれとよく似た趣向の宣伝写真がある。やはり同じ民族だ。
ちなみに生家敷地内には閣下の写真パネルがたくさん飾られていて、ファンなら間違いなく萌える。
おおおおおおおおおっ!!万景台と錯覚してしまいそうだが、ここが閣下の生家である。
閣下の家は貧しい農家だったので、元々はもっとオンボロで木の柱すらなく、これでも後年建て直したものだそうな。
生家内には閣下が勉強した小さな部屋とか、朴一家が使っていた農具などが保存・展示されていて、これまた万景台チック。 隣には焚香所(焼香所)が設けられていて、閣下と令夫人・陸英修女史の遺影が飾られ、線香を上げられるようになっている。私も韓国式スタイルで差し上げてきた。
焚香所の横には「電子芳名録」があって、なんと液晶画面上でデジタル記帳ができる。
喜び勇んで記入したが……いざ住所の入力欄になると選択式で、韓国内の住所しか出てこない。仕方なく横にあった紙の芳名録にハングルで記入。「イルボン」と書かれた住所を見て、韓国人観光客はどう思うのだろうか?
生家内で唯一販売されている記念品が携帯電話ストラップというのは、何とも当世風(ちなみに価格は3,000ウォン)。
しかしこのストラップ、表裏が閣下と令夫人の御真影となっていてなかなかの逸品。もったいなくて使うに使えない。
どこかの国のバッジによく似ているのはやはり同じ民族だからか?
 こうして感激のうちに革命の揺籃……もといセマウルの揺籃である閣下の生家を後にしたのだが、何と生家の真ん前にバス停(「朴正煕大統領生家前」)が存在していることに気づく。バスで訪問する場合は亀尾駅前で迷わず15番のバスを探すとよい。
 私はせっかくなので、上毛洞の市街地方面へ歩くことにした。途中、閣下の写真が入った看板や「朴正煕大統領下賜建物」という石碑がある集会所などを目にする。興味深いことに、亀尾ではどこに行っても閣下のことを未だに「朴正煕大統領」と、現役の大統領であるかのように表記していた。この点、北の首領様が永遠に「主席」なのと同じ感覚かしらん?

4.母校はプチ万寿台

 念願の生家を訪れたとは言え、これで亀尾を離れてしまったのでは画竜点睛を欠く。やはり銅像がなければ!
 次に向かった先は閣下の母校・亀尾初等学校(小学校)で、亀尾駅から徒歩数分の距離にある。ちなみに閣下は毎日、上毛洞から学校まで数キロの道程を歩いて通われたそうだが、生家への“巡礼”で疲労していたため、私は再びバスを利用。それでも質素倹約を旨とした閣下に見習い、片道1,500ウォンの座席バスは利用せず、1,000ウォンの一般バス(白色に青いラインが入った、名古屋の市営バスっぽいデザイン)をじっと待った。
訪れた日は校庭で体育大会が行われていて、校門は開放状態。
おっと、校門の向こうに見えるものは、やはり……!!
閣下の銅像!!韓国内に存在する閣下の銅像は恐らくこれだけのはず。
赤銅色に輝いていたら、高さが25メートルぐらいあったらとも思うのだが、質素倹約を旨とした閣下を顕彰する意味ではこれぐらいの銅像がちょうどいい。
 近くには、まだ閣下が執権中の1976年に建てられた石碑(当時は亀尾国民学校)があったりして、プチ万寿台の雰囲気が漂う。花を供えたかったが周囲に花屋がなかったので断念。その代わり、周囲にはチンダルレ(つつじ)が咲いていた。夏場に来たらムグンファ(むくげ)が咲いているのだろうか。

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