あらかじめ規定された慌しさ/上海モランボンレポ
1.邂逅
最近の成田⇔上海便って混んでるんだな。2005年2月26日の上海行きの中国国際航空便は満席。私の隣に座った青年は「これが初めての個人旅行なんですよ。」と緊張しながらもロキロキした表情を見せていたが、離陸前に二重発券であることが発覚。「ツイてないっスよ。」とボヤく青年であったが、ビジネスクラスに座れることになった。「ラッキーっすよ。」よかったな青年。きっとナイスな旅になるぞ。
ところで私は3月上旬、10泊出張で上海に滞在した。出張というからにはもちろん仕事なんだが、以前から上海の北レスレポを送ってくれるCAPTAIN同志に面会し、上海韓国人社会における北レスの役割と今後の展望並びに課題につき討議し、互いの認識を深めることが厳しく要求されていたのだ。
2月5日、午後7時、九洲賓館1階が集合地点である(モランボンはその2階)。私は10分ほど早く到着したのだが、1階には案内係の民族服の女性がおり、「お客様、予約されましたか?」と言う。「いや、2名なんでしてません。」と答えると「今、席がありませんのでお待ちいただきますがよろしいですか?」だと。えーっ!!公演は7時半からだから、それさえ見られればいいのだが、ちょっとおろろいてしまった。やがてCAPTAIN同志登場。満席の旨告げるとやはりおろろいていた。「前回は空いていたんですけどねえ。」
でもCAPTAIN同志持参の中国在住韓国人用のフリペなんか見ているうちにあっとう間に10分ほど経過。すぐ2階に通された。確かにギッシリ客で埋まっている。韓国人客が多いようだ。ややステージから離れた席に案内されたが、なんつってもそこしか空いていない。
2.宿命
早速ビール、焼肉、イカ辛子炒めなど注文。上海北レス事情に詳しいCAPTAIN同志とはすぐに意気投合。恩徳館はやや雰囲気が大人しいこと(同感)。上海平壌館は熱唱型であるといった情報がもたらされる。着席が7時10分だったが、客入りの多さと忙しさで、公演開始は8時過ぎとの予想でも意見が一致した。
しかし予定開始時刻から僅か10分遅れの7時40分、突如として場内に「只今より、公演を開始いたします。」とのアナウンスが流れた。その瞬間、我々のテーブルについて肉を焼いていた金同志(小柄)はビクッ!!としてステージの方を振り向き、隣のテーブルで給仕していた同志に向かって「オンニ、オンニ、こちらのお客様をお願いします。」と言うとアセアセ状態でステージの方向に急いだ。
金同志(小柄)はキーボードにかぶせられた布製のカバーを上げると大急ぎでスタンバったのであった。そして北レス公演オープニングの定番、「パンガプスムニダ」が始まったのだ。
ずいぶん強引な始め方だが、これだけ場内が混雑しており、しかも広いとくれば、同志達一人一人に声をかけて、7時半だヨ!全員集合!することなど不可能なのだ。そこで場内に開始のアナウンスを流し、強制的に始めたのだろう。これを我が国では見切り発車とも言うが。
この日の演目は以下のとおり。
1.パンガプスムニダ
2.ノドゥルカンビョン(扇子踊り)
3.セタリョン
4.春が来るアリラン峠
5.人形踊り
6.青春
7.若さは急行列車(サックス独奏)
8.番地のない酒場
9.口笛
10.異国のみなさんまた会いましょう
3.永遠
CAPTAIN同志のレポにあったように、上海モランボンには日本語を話せる女性がいる。公演終了後しばらく経って落ち着いた頃にお話をうかがうことができた。
50代と思われるこの女性は金支配人という。日本語は驚くほど流暢であったが、在日でも帰国者でもない。日本語は平壌で学んだという。しかし平壌のガイド達も来日経験がなくてもかなり流暢に話すし、努力次第なのかもしれない。北朝鮮の「烽火総会社(漢字は音訳)」から派遣されて来た若い女性16名(16名に自分は入っていない模様)で運営しているのだという
金支配人は公演の時もステージ横でずっと公演の様子を見守っていたし(上の画像にもチラッと写っている)、公演の責任者でもあるのかも知れない。この日は日本語の歌も歌おうと思っていたが、時間がないので止めたとのこと。う〜ん。残念。ただし後日CAPTAIN同志が訪問した時には1番日本語、2番朝鮮語で「津軽海峡冬景色」を歌ってくれたとのこと。これはヨイ!!朝鮮語の歌詞の方を是非覚えたい!!
ところで本日の公演で歌われた「異国のみなさんまた会いましょう」だが、私が「是非覚えたいがCDはないんですか?」と金支配人に質問したところ。金支配人は首を横に振り、「これは在日同胞が祖国を離れる時に歌う曲で、CD化されていないのです。」とのこと。う〜ん。そうだったのか。
しかしこの後、CAPTAIN同志から一つの重大な問題が提起された。「在日同胞にとって朝鮮は祖国のはず。ならば『異国のみなさん』ではなく『祖国のみなさん』であるべきではないか?」おおおおっ!!ス、鋭い!!この質問をぶつけたのがこの下、真ん中の画像である。接待員同志と白熱の議論の末(ウソ)、結論はやはり「異国」で正しいのであったが、在日のアイデンティティーはやはり日本にあるのかとか、そんなことも考えた。でもまあ在日と朝鮮との歌がいつの間にか海外から来たお客さんとの別れの歌に一般化されたのかもしらんしな。
しかし、エルファネットに2005年5月にアップされた、北朝鮮唯一の海外総合芸術団体(要するに在日の皆さん)、「金剛山歌劇団」平壌公演でそのナゾは氷解した。この映像の最後で、彼らは「祖国の同胞の皆さんまた会いましょう。お元気でお過ごしください・・・」と歌っている。つまり上海モランボンは、この歌の「送る側」と「送られる側」の立場を入れ替え、替え歌として歌っていたのである。
(左)金支配人への北レス取材に思わず熱が入る筆者。ところで金支配人が持っているのは私のシャーペンである。
(中)食事もそこそこに「異国のみなさんまた会いましょう問題」を提起する筆者。
(右)気さくに3ショットに応じる同志達。
モランボンは明るい雰囲気で非常に居心地が非常によかった。注目すべきは民族服を着ていない従業員が数名いて、中国語と朝鮮語を話していたことである。そのうち一人は丹東出身の朝鮮族であった。この女性は「韓国」のことを「南朝鮮」とは言わずに「韓国」と表現していた。後日再訪したCAPTAIN同志によれば、金支配人も日本語を話すときは自国を「北朝鮮」と言っていたそうである。
コリアタウンに存在するモランボン。客の多くは韓国人であり、いちいち「南朝鮮」などと言ってはいられないんだろうなきっと。