トルクメニスタン旅行記(13) Somebody's watchin' me/2代目は本気(マジ)
ってなわけで三日間にわたるトルクメニスタン観光を終え、ウズベキスタンに戻った私。ここからはトルクメニスタンがどれくらい北朝鮮っぽいのか考えてみたい。

34.なんなんだこの懐かしさは
 陸路トルクメニスタンからウズベキスタンに戻ってきた私は、出迎えの運転手さんと一緒にブハラ空港へ。ここからその日のうちに飛行機で首都タシケントに戻ったのである。翌日は一人でタシケントの街へ繰り出したのであるが、クラクションをブーブー鳴らしながら走る旧ソ連製の車、物売りの声、雑然としたタシケントの街を歩き回るうち、「あれっ、この感じ、どこかで経験したことがある。」と思った。

 そう。北朝鮮から中国に戻った時に感じる、なんとも言えない懐かしさである。平壌の街は生活感のない建物が立ち並び、人通りも少ない。夜8時を過ぎればシーンと静まり返ってしまう。それに対して中国はどこに行っても人で溢れかえっており、頼みもしないのに物売りやら怪しげな客引きやらが寄ってくる。うるさいとか煩わしいとか思いながらも、オレってこういった喧騒の中に身を置いた方が落ち着くんだなとも思う。

 トルクメニスタンは白い大理石建物の建設が進み、少なくとも外観では人口無菌都市を目指してしているようにも思える。また首都アシュガバットに三泊したが、繁華街と呼べるような通りはあっても夜は早い。
 
 
宿泊したグランドトルクメニスタン近くが繁華街だったようだ。香港資本の青年向け服飾店「GIORDANO」があった。この近くには大きなバザールもあり多くの人で賑わっているが日が暮れると静かになってしまう。 こういった旧ソ連時代からの建物を見かけるとなんとなくうれしくなる。JRの駅で明らかに国鉄時代のものと思われる駅名標を見かけたときのロキロキ感に似ている。ダショウズの電話局。
 


35.Somebody's watchin' me/2代目は本気(マジ)

 初代ニヤゾフ大統領死して3年近く(2006年12月21日逝去)、2代目が就任して2年半以上(2007年2月14日就任)。宿泊したグランドトルクメニスタンホテルは首都の中枢部に近いと言っていいが、私が期待していた初代の肖像画すでになく、僅かに中立のアーチの中に残るのみだった。しかし初代の黄金の像はいたるところで見かけ、それは密度で言えば平壌の金日成像を上回るであろう。しかし2代目の肖像画なら政府公共機関を中心によく見た。
 石油ガス省に2代目が。こんな高いところに飾らなくてもなあ。以前は初代の肖像画があったのだという。  妙な形だと思ったら本を開いた形だったのか!!手許の絵葉書では「State Establishment of Free Creation of Turkmenistan」。メディア用のビルのようである。右上に大統領閣下の金の横顔が!!

 銅像は初代、肖像画は2代目。過渡期なんだろうか?世襲している北朝鮮とは事情も違うとは思うが、2代目は「肖像画は掛け替えれば済むけど、銅像はちょっとなあ・・・。引き倒すとほれ、映像的にアレだし、妙な憶測を呼ぶのもヤだもんなあ・・・。」とか思ったんだろうか?私はもっと肖像画の密度が高いものだと勝手に推測し、常に誰かから見られているという「Somebody's watchin' me」的不気味さを感じられるものと思っていたのだが、そうでもなかった。

   ・・・と思っていたらニュースが。2代目が初代の黄金像の撤去を命じたというのだ。2010年2月3日付け東京新聞。同じニュースを2010年1月18日、インターネットニュースのTURKMENISTAN.RUも伝えている。これによると解体の対象になっているのはやはり中立のアーチのようで、すでにトルコの業者さんと契約も済み、かわりにKopetdag近くに95mの「中立の記念碑(Monument of Neutrality)」を建設するとのこと。Kopetdagといえば私がスタジアムを見にいって中に入れてもらったあたりだから、中心部からさほど遠くない。2代目はついに本気(マジ)になったのだ。

 左が本文でも何度となく紹介してきた中立のアーチ。てっぺんに見えるのは黄金の初代ニヤゾフ像で、太陽の向きを追いかけて24時間で一回転するようにできているのだ。うーん。独裁者はこうでなくっちゃ・・・と思っていたが、私が訪問した2009年9月時点で本当に回っていたのだろうか?ナターシャも黄金のニヤゾフ像は「real gold」だと言っていたが、回転については言及していなかった。

 私も24時間ずっと中立のアーチを見ていたわけではないので、ひょっとすると2代目の指示でこんなバカげた・・・いや楽しすぎることは止めてしまったのかもしれない。再訪して確かめたいところだが、それまでこの中立のアーチ、残っているのだろうか?
 

 それでもってこの2代目、私の後を追うかのように(そんなわきゃない)日本を公式訪問しているのだ。私が日本に戻った三ヵ月後の2009年12月に来日。同月17日には天皇陛下に面会している。翌日、TURKMENISTA.RU.がその模様を伝えている。この2代目の日本訪問は大きく報道されたので皆様も記憶されていることであろうが・・ってのはウソで、私も当時全く気づかなかった。更に悪いことにはこの二日前の12月15日、中国の習近平国家副主席がいわゆる一ヶ月ルールを破って天皇陛下に面会。政治利用ではないかと世論が沸騰しており、トルクメニスタン大統領の訪問は全く注目されることはなかった。
 
 うーん。なんともタイミングの悪い話ではあるが、一ヶ月ルール騒ぎがあってもなくてもトルクメニスタン大統領の来日は大きく取り上げられることはなかったんだろうなあ・・・・。
 
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