トルクメニスタン旅行記(14)いろんなモノからいろんなアレが見える
トルクメニスタンの初代大統領、サパルムラト・ニヤゾフ氏は独断で月の呼び方をお気に召すまま変えてしまった。それって二代目に変わってどうなったんだろう。初代の死後3年近く経過しているが、今回の旅行体験と現地で購入した図書から考えてみたい。

36.ルーフナーマノートから地味に何かが見える
 今回の旅で私はテケバザールで二代目の肖像画を購入したが、同時に“ルーフナーマノート”を発見、購入していたのだ。
 
   私はこれを“ルーフナーマノート”と名づけた。表紙にルーフナーマの1巻と2巻が見えるからだ。また最下部の文字が微妙に切れているが、これはスキャンミスではなく元々そのように裁断されていたのである。

 ルーフナーマノートは全80ページ。トルクメニスタンの未来を担うよい子たちにルーフナーマに親しんでもらうため、心優しいニヤゾフ初代大統領さんが作ったものが市場で売られていたと推測する。


 今回の旅では夜8時にギギギと動くと聞いていたルーフナーマモニュメントが動かなくなっていたり、改装中の書店でルーフナーマのポップが地べたに無造作に置かれていたり、大統領が代替わりしてから結構冷たい扱いをされていると感じていたルーフナーマの、羽振りの良かった時代を思わせる貴重な証拠品である。
表紙をめくると・・・・おおおおおっ!!初代ニヤゾフ先生!!トルクメン語で書かれているのでよくわからんが“PREZIDENTI”が“大統領”の意味だろうな。

最後の単語が“TURKMENBASY”で“トルクメンの首領”って意味だな。

“ニヤゾフ”の意味の“NYYAZOW”という単語は全く見えない。やっぱり専ら“トルクメンの首領”を名乗っていたんだなってことがわかる。


で、これが1ページ目。地味に注目すべきはこのページの裏(つまり2ページ)には何も印刷されていないってことである。エラい人なんだな。その後頭部を活字で汚してはならん。やっぱしアレ系にエラい人ってカンジがしてきた。
   
でもって3ページ目に国章。国旗より先なんだな。 次の4ページ目が国旗。
  


37.カレンダーからけっこうハッキリアレが見える。

 そんでもってこれこそが君達が期待している偉大なるトルクメンバシ制定の12ヶ月の呼び方だ。ルーフナーマノートの7ページ目に出てくる(5、6ページは現地語の文字だけで、何書いてあるかさっぱりわからんので省略)。
 左上から下に向かって1月、2月と並んでいる。絵を見ればなんとなくわかるのもあるが、さっぱりわからんのもあるな。

 1月=トルクメンバシ、2月=旗、3月はステンドグラスの虹が足の部分で重なっているように見えるがイラン歴。4月=ニヤゾフ氏の母親、5月=国民的詩人のマフムトゥグル。市内を歩いたとき劇場にその名がついていた。6月=オグズ。歴史上の人物。独立記念塔の前で見た。

 7月=ゴルクート。歴史上の英雄。8月=パッと見て砂漠を火の玉が飛んでいるように見えるがアルプ・アルスラーン。歴史上の人物。9月=言わずと知れたルーフナーマ。10月=独立。うん。独立記念塔だもんな。11月=歴史上の人物。サンジャール。これも独立記念塔の前で見た。12月=中立。中立のアーチだもんな(各月の名称はwikipediaの記事を参考にしました)。
で、二代目の現在はどうなっているのか、本文にも出てきた“二代目と馬カレンダー”でチェックしてみた。
左上から右に向かって1月、2月・・・と並んでいるのだがちょっと見にくいと思うので8月のみピックアップしてみた。
2009年8月。二代目が馬のアゴのあたりをビミョーにナデナデしているがそれはさておき注目していただきたいのは“Awgust”の部分である。ルーフナーマノートでは8月は“Alp Arslan”となっていたが、その表記は全く見られない。これは他の月も同様で、ニヤゾフ前大統領のつけた名称って止めちゃったんだろうか?
12月の右下部分が気になったので拡大してみた。12月21日はニヤゾフ時代から偉大なるトルクメンバシ記念日だったのだが、これはそのまま残っているように見える。現地語でニヤゾフとかトルクメンバシっぽい表記が見えるもんな。前大統領の功績を全否定してるってワケでもなさそうだな。

 
 
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