トルクメニスタン旅行記(3)ボクはこんなむんいきが好きなの
 トルクメニスタン一日目の夜、最後まで監視してくれるだろうと思っていた女性ガイドは私をレストランに案内すると、さっさと帰ってしまった。外国人観光客に対するチェックの厳しさから、てっきりホテルまでついてきて外出をキビし〜く禁じて去ってゆく(或いは同じホテルの別の部屋に泊る)ものだと思い込んでいた私は監視されるというロキロキ感を味わうことなく専用車に乗り込んだのだった。
 
 8.歌うでもなく飲むでもなく
 ナターシャが帰ってしまったあと、専用車でホテルに戻った。運転手さんはロシア語、トルクメン語、トルコ語を話すという。トルコ語とトルクメン語って違うんだな。ホテルに戻って8時半。周辺を散歩してみたい気持ちもあったがさすがに疲れていたのでホテルの中を少しだけ探検することにした。ロビーの一番ヨいところに肖像画が。
   
 ベルディムハメドフ2代目大統領。このハトに向かって手を上げているバージョンがお好きなよう。バックは名物の絨毯と思われる。  2代目真面目バージョンと呼ぶことにした。両サイドには何か書いてあるが全く読めない。でも要約すると「エラい!!」となるに違いない。
    
 私は普段テレビはほとんど見ないが、外国に行けばよく見る。左の画像はテレビから直接撮ったものだが・・・ギャハハこりゃ違うんじゃないか!?コメディ番組のバックに2代目真面目バージョン。場違いだよなあ。せめてハトバージョンにしてくれよなー。

 以前、私の上司で一滴も酒が飲めないのに二次会のカラオケにまで付いてきて、歌うでもなく飲むでもなくじっと座っている人がいた。曰く「ボクはこんなむんいき(※注)が好きなの。」だと。それを思い出してしまった。※注「むんいき」とは、「ムード」と「雰囲気」を掛け合わせた私の造語である。


 右はニュース番組。トルクメニスタンの公用語はトルクメン語である。聞いて理解できない言語が早口に聞こえるのはやむを得ないことであるが、トルクメン語はアクセントというものがあまりなく、平板な印象を受ける。バックは風にたなびいているCGの国旗。
タシケント出発からアシュガバット到着までいろんなことがあって長い一日であった。ビールの酔いと疲れもあって早々に寝てしまった。

※北朝鮮では・・・以前平壌滞在中に「北朝鮮版のど自慢」みたいな番組を見たことがある。街の愉快な3人組が出てきて歌うはやっぱし偉大な方を称える歌。お年寄りが出てきて歌うもやっぱし革命歌。ちょっと民謡もあったような気が・・・。でも娯楽番組のバックに偉大な方の肖像画などちょっと考えられない。


9.二日目開始。朝の街を歩き回っていいよな

 ゆうべは熟睡した。二日目の目覚めは爽快である。ゆうべナターシャに「朝は外出するな。」とは言われなかったので勝手に外出することにする。いいよな外出しても。
 
 
中立の塔。今回の旅の鍵を握ると言っても過言ではないだろう。この後レポに登場する。ホテルの敷地からよく見えた。歩いて行ける距離。 ホテルのエアコン。Haierとは中国青島市のメーカーだな。こんなところに反応してしまうオレ。
   
ホテル向かいのデパート。服や絨毯を売っていた。この正面青ガラス部分にも以前初代ニヤゾフ大統領の肖像画があったとの情報あり。 ホテル隣の絨毯博物館。中央の肖像画は初代ニヤゾフ大統領の母親(予想どおり)。ただし数週間前に移転し、営業していなかった。
   
 ホテル裏の公園にて。著名な歌人の模様。 この国は噴水好きだという印象をますます強くした。
   
ホテルから一番近いバス停。ほれ韓国現代社製だ。  トルクメニスタンの旅行で二つだけ覚えた単語のうち一つ、「WATAN」。お知らせなどという意味。ニュースも「WATAN」だった。
   
バス停近くに貼られていた。なんだろう。合コン相手募集だろうか?このように下が短冊状になっていて、ちぎって持ち帰るようになっている貼紙は隣国ウズベキスタンでもよく見た。 トヨタカムリはよく見た。ドバイ経由で輸入されている模様。「TM」って「TOYOTA MOTORS」の略?ってボケは現地でウケるよ(もちろんトルクメニスタンの略)。

※北朝鮮では・・・朝も原則外出禁止だが、ホテル前をブラブラする程度なら大目に見てもらえる。出勤する労働者達をブラスバンドの演奏で元気づける子供達の演奏が見られるのも北朝鮮ならでは。


10.デカい!!デカすぎるぞこのモスク

 やがて9時。ナターシャと待ちあわせの時刻である。まずは最初にホテル向かいの銀行で両替をすることに。100USD=142マナット。銀行の掛け時計が韓国LG社のネーム入りであった。

 この日から本格的にアシュガバット観光が始まったわけであるが、ナターシャが腹案を持っていて、それに私の希望を加味してゆくというやり方である。私はできるだけ初代大統領のモニュメントを見たいという希望を出し、専用車でスタート。暫くの間、線路沿いを走る。
私は鉄道好きなので、時々止めてもらいながら写真を撮った。旅客列車が運よく現れてくれないかなあと思ったが来なかった。
   
 最初に案内されたのは初代ニヤゾフ大統領が眠る霊廟。撮影どころかカメラ持込禁止。左の画像の右側の木が生えたあたりに置いて行くようにナターシャに指示される。

 内部は吹き抜けになっており、上から棺を見下ろす形になる。中央に故ニヤゾフ初代大統領の棺。それを取り囲むように棺が四つ。字は読めないがそれぞれ「48」「48」「48」「43」と書かれている。

 「(19)48」はかつてこの地を襲った大地震で亡くなった母親と兄弟、「43」が第二次世界大戦で亡くなった父親のものだろう。中ではイスラム式にお祈りを捧げている人がいた。そこから噴水を挟んだ隣に巨大モスク(魂のモスク)がある。


クリックで拡大
 
2万人は入るというから感覚的にはドームだな。前夜、ニュースで巨大なモスクの中でラマダン最終日のお祈りを捧げるイスラム教徒の映像を見たが、ここだったのだろう。  モスクの入り口。上部に「TURKMENBASYNYN RUHY METJIDI」。これがトルクメンの首領の魂のモスクという意味だろう。曲線部左下に「RUHNAMA」の文字が見えるがこれはニヤゾフ初代大統領=トルクメンの首領の著書名である。
 
ここにはスッゲー数の信者がお祈りに訪れて、スッゲー数のバスが駐車するとナターシャが言っていた。英語だったんで詳しい数はよく覚えていないが、まあそういうことだ(ここに詳しく出ている。ただし英語)。ここは市の中心から10キロほど離れており、「ここに一日5回来るのは大変なんじゃないの?」と聞くと「いや毎日じゃないよ。普段は家で祈ってる。」とナターシャ。

 イスラム寺院の常として、内部は撮影禁止である。また女性は髪を隠す必要がある。ナターシャはイスラムではないが貸し出し用のスカーフが用意されていて、それを使うのである。今回三箇所のモスクを訪問したが、どこでもスカーフが用意されていた。

 このモスクで特徴的なのは、絨毯敷きの内部を歩くときに絨毯の模様でお祈りスペースと通路スペースが分けられていて、必ず通路の模様部分を歩くように言われることである。他の二箇所ではこういうことはなかった。写真は撮れなかったがどのモスクも内部の装飾は大変に美しい。

※北朝鮮では・・・「我が国では宗教の自由が保障されています。」と案内員同志がいつだったか言っていた。通常の観光ルートに宗教施設は含まれていないが、韓国の現代アサンがかつて主催していた開城ツアーでは観音寺がコースに含まれており、僧侶がいた。また平壌市内には真新しいロシア正教寺院があるが、あれってホントに使ってるんだろうか?



11.都市部を少し外れてみた

 ここから更に郊外へ。ギョク・テペから山道を経由して市内に戻ることにした。

   
ギョク・テペのモスク。市中心部からは40キロくらい離れている。青が美しい。 郊外にはぶどう畑が広がる。ワインの産地でもあるという。
   
郊外から市内へ戻る途中。ナターシャは「子供のリゾート」という言い方をしていた。 小高い丘に突如現れた金のライオン。なんだいったい!?よくわからんが嬉しかったんでこの後ツーショット撮ってしまった。
   
おお。野生のラズベリー。初めて見た。  こんなのどかな風景が広がっている。

アシュガバット市内には大理石でできた白い建物が広がっているが、郊外に出るとこんなカンジ↑である。郊外の旅がしばらく続く。

※北朝鮮では・・・以前平壌から元山に行くとき、途中のムジゲ(虹の意)トンネルが工事中のため迂回路を通ったことがあったが、軍用と思われるカーキ色のトラックは走っているものより故障して立ち往生しているものの方が多く、ボンネットを開けて四苦八苦している兵士の姿が印象的だった。

 また日曜日の午後4時という時間帯にトラックの荷台に乗せられた多くのフツーの人民。そぼ降る雨の中労働に動員されていたように見えたがご苦労なことである。ただこういったルートを通ることは例外中の例外。写真撮影はもちろん厳禁。

 
             その2へ         トルクメニスタン旅行記TOPへ        その4へ