トルクメニスタン旅行記(7)Some things are better left unsaid
 アザディ広場でタワ見酒などどおバカな妄想を抱きつつ、夜のアシュガバット散歩は続く。
 
 22.Some words are better left unspoken
 
    
マフトゥムグル国立劇場(national musical and dramatic theatre of Turkmenistan named after Magtymguly)。国民的詩人の名前を冠した劇場。肖像画も同じ人である。手書きの公演案内(たぶん)がちょっと北朝鮮っぽいてゆっか旧ソ連っぽい味を出している。この国立劇場は、以前はニヤゾフ大統領の肖像画が掲げられていたことが手元の絵葉書で確認されている。
 
トルクメニスタン航空本社(たぶん)。1階が通り抜けられるような構造になっており、またまた初代大統領の銅像が。もう驚かないぞと思いつつ高まるロキロキ感。
 
おお!!ライトニングセンターライン!!センターライン沿いにチカチカが埋め込まれているのは見たことがあるが、センターライン自身光っているのは初めて見た。 夜の公園。9時過ぎだが灯りが煌々とともっている。ベンチに腰掛けて語らっている人も少ないがいる。突き当たりにレーニン像が小さく見えるが、明るくなってからお見せする。

※北朝鮮では・・・平壌の夜は早いてゆっか暗い。平壌駅から延びる蒼光通りが繁華街ってことになっているが、夜の8時には人通りも絶え、静まり返ってしまうのが繁華街だろうか?アシュガバットは街灯が多く、夜が明るい街という印象を持った。石油とガスで儲けているだけのことはある。ただその明るさは中立のアーチや独立記念塔に見られるような奇妙な明るさだったりするが。


23.Some things are better left unknown
 
 長い夜の散歩を終えてホテルに戻った私。このグランドトルクメンにはサウナがあるというので地下一階に降りてみた。しかしサウナはすでに営業を止めていた。部屋に戻ろうと踵を返した私の目に飛び込んできたものは・・・・・
 
 
・・・・・!?初代大統領の胸像がこんなところに・・・・。地下一階はサウナのみならず客が立ち入るような施設は一切ない。そんなところにポツンと置かれている。
 
 推測だが、この胸像は以前はもっとヨい場所にあったのではないだろうか。例えばロビーの中央というような。それが2006年12月の急逝以後、撤去されたのではないだろうか。

 この胸像が置かれた場所が、初代大統領の微妙な立場を物語っている。客の目に触れない地下一階にありながらも、突き当りの中央に配置され、しっかり正面を見据えている。その横にはテーブルやらダンボール箱やらが置かれているが、それらとは同じ空間にありながらも一線を画した位置にあるように思える。

 倉庫にしまってしまうという選択肢は・・・なかったのだろう。それでは「その他のモノ」と同格になってしまうからだ。現政権になってから脱ニヤゾフ化が進んでいるとも言われるが、街中では依然としてニヤゾフ初代大統領の金ピカ銅像は見られる。しかしこのように人知れず消えていったものも多いのではないか。

 濃密な、濃密な二日目は終わった。死後引き続きアシュガバット市内に残る金ピカのニヤゾフ像。目立たぬところにひっそりと眠るニヤゾフ像・・・。ニヤゾフには貸しも借りもないが、なんだか見てはいけないものを見てしまったようで、気が重くなってしまった。世の中には、知らぬままにしておいた方がいいものもあるのかもしれない。

 ホテルの部屋に戻ると、折からニューヨークを訪問していた二代目ベルディムハメドフ大統領が、ヒラリー国務長官、パン・ギムン国連事務総長、キッシンジャー博士と会談している模様がテレビで流れていた。あとでわかったのだが、中国の胡錦涛主席にも会っている。たぶん国連気候変動首脳会合に出席していたのだと思う(鳩山首相が温室効果ガスを25%削減すると言ったアレ)。

※北朝鮮では・・・偉大な方の像が人目につかぬところにひっそり・・などという反革命的なことは、とてもとても考えられない。少なくとも現在の体制が続く限りは。もっとも北朝鮮では初代が亡くなるかなり前から実子の後継が決まっていたので、初代の急逝後選挙で二代目が選ばれたトルクメニスタンとは比較はできないのだが。

24.Some hearts are better left unbroken

 三日目の朝。ナターシャが迎えに来る前に、早朝一人でホテル周辺を歩き回ってみた。
    
近くの公園のレーニン像。姿勢が北海道大学のクラーク博士に似ている。台座が絨毯の模様のように見えるのが面白い。 なんだか音楽室の後ろの方に飾ってある絵に出てくる人みたいだ。著名な音楽家なのかもしれない。この国は銅像も好きである。
   
この国では韓国製品が幅を利かせている。そういえばナターシャの携帯電話も三星だったし。 「North koreaとSouth koreaってすごっく違うんでしょう?」と言われたのにうまく英語で説明できなかったのが悔しい。 信号機は縦長タイプ。秒数が表示されるタイプのものがあり、僅か10秒で青から赤になってしまう。面白いので動画を撮っていたら、警察がやってきて厳しい表情で「消せ」と言われたので消した。 

 一人でアシュガバットを歩き回った私だが、警察に厳しい対応をされたのはこの場面だけであった。ただこの時期たまたまアシュガバットに滞在していた他の日本人観光客によれば、夜、市内を散歩していたら警察が寄ってきて「パスポートを持っているか?」と聞くので「ない。」と答えると「外国人はパスポートの携帯を義務付けられている。罰金を払え。」しかも「いくら払う?」と聞いてくるのだそうだ。申告制の罰金など聞いたことがない。当然無視して払わなかったそうだ。

 私はこの国の役人にはおおむね好感を持ってきたが、やはりどこの国にも悪いヤツはいるものである。翌朝ガイドに確認したところ、やはりパスポートの携帯義務などないとのこと。

 9時15分、ナターシャが迎えにきた。三日目のスタートである。

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