結局北メシ屋だったのか?幻の広州木蘭館
2005年1月、私が中国のフリペで発見し、直接電話した上で「北レス」と認定した広州木蘭館であるが、どうも雲行きが怪しくなってきた。広東省広州市在住のJINO同志が実際に調査に行き、下記の報告を送ってくれたのだ。
昨晩行って参りました。北レスではなく「Kitameshi屋」さんでした。「ちぇっ」でした。4人がけのテーブルが6つあるだけの小さな店でした。この辺、他に「表演」とかを「服務員」の方やってる大きなお店知らないって聞きましたが、「あほか?」って感じでした。
でも、僕の知り合いが東北で広告見て電話したし・・・ってきくとただニヤッとされただけでした。でももっと南の国とかでも有るんですから、今は無くてもそのうちできるんじゃないかな。マカオの隣の珠海の方が先かも解らないけれど。
JINO同志が送ってくれた画像は下記の通りである。
特徴を探すとすれば、このハングルは漢族が見よう見まねで書いたものでは絶対にない。コリアンの手によるものである。また向かって左側の隅に小さく「平壌(実際はハングル)」と書かれている。更にもう一つの特徴として、扉の左右に縦書きで「アンニョンハセヨ」「オソオシプシオ(いらっしゃいませ)」と書かれていることである。このようにいきなり入り口で看板に挨拶してもらえるのも北レスに散見される特徴の一つである。例えばこれとかこれとか。ただこれは以前も指摘したが、「冷麺」の表記が北朝鮮式ではなく韓国式であるのが気になる(発音が少し違う)。
従ってこれは開店当初は北レスであったものの、その後何らかの事情により撤退し、「Kitameshi屋」になったものと推測される。私はこの5月、広州に行く予定があるので是非確認したい。
なお、「北レス」撤退後も店構えはそのままに営業しているケースは長春平壌アリラン館が知られているが、今回の広州木蘭館も同様のケースであり、こういった営業形態を、「北レス」と対立する概念として「Kitameshi屋」、或いは「北メシ屋」と表記することとしたい。ヒントを与えてくれたJINO同志に感謝する。
なお、JINO同志ご指摘の通り、広州を中心とする広東省の都市は、北レス進出の可能性が大いにあり、広州の他に珠海、深せんは要注意である。
(JINO同志 2005年3月15日訪問)
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