トルクメニスタン旅行記(11) 今すぐ全部消しなさい 
 アシュガバット最後の夜。単独行動で市内を歩こうと思ったが、思いのほか足で苦労した。
 
30.お客さん、もうおしまいなんですけど。

 アシュガバット三日目の夜。これからアシュガバット駅に行けば、昼とは違ったむんいきが味わえるのではないかと思った。運がよければ旅客列車に会えるかも知れない。その前にもう一度歩いて政府中枢付近へ。
 
夜のルーヒエット宮。独特のむんいきがあってヨい。 政府中枢部から郊外に延びるPodvojsky大通り。紫色のクラゲが連なっているように見えるのは中央分離帯に設置されたプチ噴水の列である。
 
  ここでタクシーを拾おうと思ったのだがなかなか見つからない。てゆっか宿泊しているグランドトルクメンでも客待ちしているタクシーって見たことがない。一旦ホテルの前まで戻ると・・・「taxi(を探してるのか)!?」と声をかけてくる輩が。白タクだ。人のよさそうなオヤジがこっちを見ている。駅まで行ってくれと言うと「10マナット。」と言うので半分の5マナットまで値切り、そのかわり往復で使うから10マナットということにした。駅まではほんの数分。
 
美しくライトアップされたアシュガバット駅。ただ塔の部分だけが妖しくてゆっかキャバく光っている。どうもこの国はライトアップというといろんな色でキャバく照らさないと気が済まないようだ。この時夜8時半。すでに正面から施錠されており、駅全体が「お客さあん・・もうおしまいなんですけどお。」と私に語りかけているかのようだった。2009年9月現在、アシュガバットを発着する国際列車はない。そのため発着ともアシュガバットを中心にダイヤが組まれており、その結果駅は早々に店じまいしてしまうのではないか。

ところでアシュガバット駅の古い画像をここで見ることができる。形はほぼ同じだが大理石ではない。てゆっかソ連っぽいむんいきがプンプン漂っている。滞在中、「大統領が建物はすべて白くしろと命令した。」という話も聞いた(真偽は不明)。ただ大理石にすると、とたんに高級感が漂いはじめるのが不思議だ。
アシュガバット三日目はこれで終了。翌日はいよいよトルクメナバット経由でウズベキスタンに戻るのだ。

※北朝鮮では・・・夜の平壌駅を見たことがあるが、大きな荷物を抱えた多くの人がいつ来るとも知れない列車を待っており実に重苦しい雰囲気だった。また1987年暮れ、夜行列車で開城まで行った時に、平壌駅に停車中の人民の乗った夜行列車を見たが、車内に照明というものがなく目だけギラギラと光っているような、なんとも不気味な印象を受けたものだ。


31.今すぐ全部消しなさい

 四日目。朝9時40分、ナターシャが迎えに来た。専用車で空港へ。6キロしかないのですぐに到着した。いよいよナターシャともお別れだ。記念にとナターシャの顔写真を1枚撮ったその瞬間・・・後ろから何事か私を呼び止める声が。振り向くと女性係員がコワ〜い顔をしてこちらをにらんでいる。

係員「何を撮ったの?」
オレ「ガイドさんの顔写真ですよ。」
係員「他にも撮ったでしょう。全部見せなさい。」
オレ「これとこれとこれ。」
係員「全部消しなさい。今すぐにです。」

 おーこわ。私が撮ったのはナターシャの顔写真と、トルコ航空の商業広告と、電光掲示板の運航スケジュールだけである。運行スケジュールはまあわからんでもないが、商業広告とナターシャの顔写真にどんな問題があるというのか?。それともナターシャの顔に重大な軍事機密でもあるというのか?ナターシャは「やれやれ。泣く子と地頭には勝てないね(ロシア語で地頭って何て言う?)」という表情で見ている。

 ロシア系と思われるこの女性係員の横柄な態度に、私はすっかり不機嫌になってしまった。空港が撮影に厳しいことは知っている。消せと言われたら消すよ。あー消しますとも。しかしあの有無を言わせぬ官僚的な態度は何だ!?まるで旧共産圏に来ているようだ(来ているんだって)。

 まあ気を取り直してナターシャに感謝の意を伝えちょっとチップなんか渡したりなんかして笑顔で別れ、チェックインカウンターへ。こんなボーディングパスが帰ってきた。


 なんじゃこりゃ。世界一簡単てゆっかテキトーなボーディングパスだな。左のDestinationは「丁」に見えるが多分「T」と書かれているのだと思う。これから向かうトルクメナバット(TURKMENABAT)の「T」だとは思うが、ほぼ搭乗時刻が重なるトルクメンバシ(TURKMENBASHY)も「T」なんだがいいのか?右側のDestinationにグルグルと何か書かれているが読めない。でもってこのあと本来搭乗時にもぎるのだろうと思ったがもぎらなかった。

 なんていいかげんなんだろうなんてことを考えながらチェックインカウンターを離れようとしたその時、「シンリ!?」と私に声をかけてくる男性が。空港のチェックインカウンターという状況から考えてこの「シンリ」とは中国語の「行李」。荷物の意味である。つまり機内預け荷物はないかと聞いているのだ。

係員「あなたは中国人じゃないのかい?」
オレ「日本人だよ。」
係員「中国語わかるの?」
オレ「うん。少し。」
係員「日本語でシンリは何て言うんだい?」
オレ「ニモツ。」
係員「ニモツ?」
オレ「Yes!!no ニモツ to check!!」

 おお。アシュガバットを去る段になって、オレの英語もEカンジになってきた。預けるニモツはないとちゃんと英語で言えたからな。数分前の女性係員の今すぐ消しなさい事件で不機嫌になったオレだったが、このニモツ事件で機嫌が戻った(単純だなオレも)。アシュガバット空港で「ニモツ」という日本語を知っている男性係員がいたら、オレの功績だと思ってくれ。

※北朝鮮では・・・陸路出国の際のデジカメチェックは厳しい。ここの開城ツアー体験記でも触れたが、原則画像は全てチェックされる。私が羅津先烽から出国する時、デジカメ画像は全てチェックされ、停車中の貨車の画像を消すよう命じられたことがあった。

32.トルクメナバットへ。TOYOTA車はgood car!!

 やがて搭乗。機材はダショウズからやってきた時と同じB717−200だ。機内に二代目の肖像画が飾られているのも同じ。 定時の11時半に離陸し、約1時間でトルクメニスタン北部の国境の街、トルクメナバットに到着した。私を迎えてくれたのは男性ガイド。幼稚園に迎えにいったらそのままついてきたという可愛らしい6歳の男の子も一緒である。
 
トルクメナバット市内。車は一路国境を目指す。 歴史上の偉人。そういえばアシュガバットでは独立記念塔を守っていた。

 この男性ガイドは親日家のようで、しかもトヨタの車が大好きなのだった。この街でもトヨタ車(特にカムリ)はよく目撃したが、彼によるとトヨタ車はhigh qualityであり、ドイツ車もよいが日本車の方が良い。日本車は値段が高いと思われているが、実は一番高いのはロシア車だ。なぜか?燃費が10倍かかるからだ。わーっはっはっはなんて話をしながら車の旅を楽しんだ。
おお。「WOKZAL」。トルクメナバット駅だ。空港からほど近い。 ガイドがあんまし日本車をほめるもんだからRAV4様がお出ましだ!!

 またこの男性ガイドは私に「TOYOTA」とはそもそもどんな意味か?と聞いてきたが、固有名詞なんで訳すのはムリで、初代の社長の名前だと言っておいた。ガイドは「我が国ではTOYOTAは long lifeと同義語。故障せずよく走る。」と言っていた。

 さらに「mixed fightは好きか?私は日本のmixed fightをよく見る。」これはPrideとか Dreamとか戦極とかの総合格闘技のことを言っているのだろう。こっちでも放送されているんだな。このガイドの日本に対する興味は相当なもののようだ。ただトルクメニスタンからはアメリカ、ロシア、トルコに多く出稼ぎに行っているが、日本は物価が高いので行けないと寂しそうだった。ホントは日本に行きたいのか!?

 トルクメナバットについては以前は「チャルジョウ」という名前であったが独立後改名されたこと、アムダリヤ川に面しており、立派な鉄橋がご自慢であること等話してくれた。

   
これがその鉄橋。たしかに立派なトラス橋だ。鉄道専用橋の模様。 それに対して車は・・・浮き橋。大型車が通るたびに浮き沈みする。
 まてよこの鉄橋どこかで見た。そうだ!!昨日ニュースで見た。機関車の前面に絨毯が貼り付けられ、そこに二代目の肖像画が飾られていた。路線自体が新しく通ったわけではなさそうだったから、改装工事が終了したのだろうか。

             その10へ         トルクメニスタン旅行記TOPへ        その12へ